Memoir : タイムズ・スクゥエアにて襲われる
アメリカで迎える初めてのクリスマス。零下20度以下というのを初めて経験した。そして大晦日、新年。

フクちゃんのところに一ヶ月ほどお世話になった後の83年1月初めに、静子さんが見つけてくれたニューヨーク・タイムズ社の横にある、モーター・ホテル(43st、8Avの角)という所に移った。一ヶ月$360、部屋は綺麗とは言えないが、まあまあ広い。バス、トイレは隣の部屋の人と共有。

 さあ、一人のニューヨーク生活が始まったわけだ。僕は、ジョー・ジョーンズjr.がウエスト・ヴィレッジのジャズ・フォーラムという所でやっている、ジャム・セッションにも毎週通っていた。ここのセッションは、“地獄スター・カフェ・セッション”と違って、2 曲単位で演奏者を決める。ジョーに名前を呼ばれた人が、順番に(だいたいが早く来てリストにサインした順)演奏していく。かなり上手いミュージシャンの場合は、特別なグループに入れられ、やらせてもらえる。ハウス・トリオはジョーがドラム、ジョン・ダナリーがベース。ピアノはなんと、有名になる前のベニー・グリーン。彼はこの時から凄くうまかった。知らない曲は無いという感じで、歌手が来た時もエニー・キーOKだった。.

とにかく、全てが順調にいっているように見えた。なんだ、ニューヨークは危険だ、と言われているけど、大したことは無いな、と思い始めた頃、83年1月中旬のことだった。

いつものごとくセッションが終わって、タイムズ・スクウェア-まで地下鉄で帰って来た。お腹が空いていたので、46stのブロード・ウェイにあったバーガー・キングで、バーガーを買ってホテルへ向かって歩いていた。夜中の1時、といってもこの界隈人通りは結構あった。

 44st辺りにさしかかった頃、向こうからやって来た両側に女性を連れて歩いていた男が、急に僕の方に小走りで近づいて来た。始めは僕の所に向かっているのではなく、僕の後ろの方にいる誰かに、用でもあるのだろうと思っていると、急に胸ぐらと腰のベルトをつかまれ、引きずり回されはじめた。ヤバイ!!!と思ったが凄い力なのでどうすることもできない。親父に、みっともないから3ヶ月以内には帰ってくるなよ、と言われていたが、もしかしてニューヨーク生活2ヶ月未満で、天に帰ることになってしまう?とマジで思った瞬間に気を失った。

意識が戻ってくると、僕の顔の前で、メガネをかけた若い綺麗な女性が「いったいどうしたの!大丈夫?誰か、みんな、警察を呼んで!早く!」と叫んでいる。

 そして「ねぇーあなた、大丈夫!?今警察を呼んだからすぐ来るわ!それまであたしがここにいるから安心して。でも何てことするのかしら!信じられないわ...」と彼女は興奮して僕に話しかけてくる。これ、勿論みんな英語だったわけだが、そんな内容だったと思われる。その彼女の言うところによると、そいつは僕を引きずり回し、シャッターに叩きつけた後、タクシーをひろって逃げて行った、ということだ。僕は今そのシャッターのところで‘く’の字になっている。しばらく意識を失っていたらしい。

それこそすぐにパトカーは来た。彼女が警官に状況を説明している。警官の一人が僕の横に落ちていたハンバーガーに手を乗せ、「まだ温かいな、そんなに長い間気を失っていたわけでもないな。」と言っているのがわかったけれど、僕は英語ほとんどしゃべれないので取り調べようがない。でも「何か盗られた物は無いか?」くらいはわかったので調べてみると、財布も時計も取られていない。そう言うと、「それは良かったが...でも不思議だな、じゃあ何の為にやったんだろう?」などと言っている。

 僕が英語を話せないので、誰か友達はいないか?ときかれた。幸い、フクちゃんの電話番号は暗証していた。が、アップセットしているので英語で数が出てこない。焦らずゆっくり思い出しなさい、と警官が言っているのはわかるのだが...しょうがないので、警官にペンと紙を借りて番号を書いた。

 警官達は僕を近くのデリに連れて行き、コーヒーを持って来てくれた。フクちゃんが来るまで取調べができないので、彼らは僕をリラックスさせようと思ったのか世間話を始めた。カタコトの日本語で「奈良、京都、私行ったことあります。」「日本安全、良い国ね。ニューヨーク怖い、悪い奴いっぱい...」などと...。

フクちゃんがびっくりして飛んで来てくれた。彼の通訳で取調べが始まったが、結局このくらいでは、形式的に書類を書くくらいしか出来ないらしい。

 それが終わると警官が僕の右眉毛の所を指差し、ちょっと深く切れているので今救急車を呼んだから、と言っている。それまで自分では気が付かなかったが、そう言われれば、そこいら辺りがズキズキと痛い。

サイレンを鳴らして救急車がやって来た。僕の傷を注意深く見て、大したことはないが一応縫わなければならない、ということだ。フクちゃん付き添いで救急車に乗り込む。最初はサイレンを鳴らしたが、そほど急ぐ必要も無いらしく、すぐ止めてしまった。

 この時、どこの病院に連れて行かれたのか覚えていない。覚えているのは、救急病院のだだっ広い待合室。ずらっと担架が並び、血だらけの人々が百人ほど泣いたり、うめいたり、叫んだりしながらうごめいていた。ニューヨークでは毎日こんなに怪我する人いるんですか?とマジで思った。  とりあえず医者がやって来て僕の傷を見た。そして、もう少し待っていてください、と言い残し、どこかに行ったまま1時間程たっても戻ってこない。フクちゃんが、いったい何やってんだろうな、ちょっと見てくるわ、と廊下の向こうに歩いて行った。

僕の前には足から骨が飛び出し、そこのふくらはぎの周りに鉄のキャスターを差し込まれた男が横になっている。麻酔でも打たれているのか、薬でもやっているのか、目がとろんとしてハイになっている。僕にタバコをせがみはじめた。ここで会ったのも何かの縁、と一本差し出すと気持ち良さそうに吸い出した。

向こうから、今事件を処理してきたばかり、というような2 人連れの警官が歩いてくる。年上の警官が若い警官に、90度に折れ曲がった血の付いた刃渡り30センチもあろうかというナイフを見せながら、「そいで奴は後ろから刺しておいて、こうやってこれで背骨を折ろうとしたわけだな。完全に息の根を止めるつもりだったんだな...」などと手振り身振りで説明している。若い警官は蒼白な顔をして、そのナイフを横目で見ながらうなずいていた。

担架に乗せられ患者達が、廊下の両側に並んだ小さな手術室に次々消えていく。手術室といっても簡単なものでドアなどない。中からは叫び声が聞こえて来る所もある。見回りの若い警官、こわごわとその部屋をのぞき、首を振りながら真っ青になっている。でも怖いもの見たさか、もう一周して来ると、またその部屋をのぞいて真っ青になっている。もしかしてこういう光景に慣れなければいけない、と思って勇気をふりしぼって覗いているのかもしれない。

しばらくしてフクちゃんが戻って来た。「いやーまいったなぁー、凄く忙しそうで、まぁもうすぐだと言ってたけどね。」

 結局2時間くらい待たされたあと、手術室に連れて行かれ手術台に寝かされる。フクちゃんが「目の上の頭蓋骨に麻酔を打つらしい。ちょっと痛いかも?って言ってる。」と通訳してくれて、あとは控え室で待っているからと言って出て行った。

 手術は大した事も無く終わった。はい、次!という感じだった。控え室に戻ってフクちゃんに終わったよ、と告げると目を丸くしてこちらを見ている。「おまえ、それ...ちょっと鏡見てみな。」なんだろうと思って鏡を見てビックリ。血だらけの顔が写っていた。あまりにも忙しいため、手術後、血を拭いている暇すらないらしい。フクちゃんがティシュを取って来てくれたのでそれで顔を拭いた。

帰りは一緒にタクシーで帰って来て、2人共一緒に僕のホテルの前で降りた。  「フクちゃん本当にありがとう。迷惑かけちゃって。」  「まぁー、でも大したこと無くてよかったよ。俺も気をつけて帰るわ。」と言い残し、フクちゃんは朝4時ごろのタイムズ・スクウェアーに消えていった。

さあ部屋に帰っても眠れない。興奮しているせいもあるが、右目上に打たれた麻酔が効いていて、右目が閉じられないのだ。でも、もらった薬のおかげでほとんど痛みは感じなかった。

明け方、やっと少し眠れた。

お昼頃、黒人の大きな太ったメイドが、シーツを取り替えに来た。僕のばんそうこうを見てビックリ。僕は引きずり回され、シャッターに叩きつけられた、などというややこしい英語などできないので、「アイ ガッタ パンチ。」(殴られた)と言った。すると「オー マイ ゴット マイ ボーイ!」と言って、その大きな胸とお腹に抱きしめられた。「本当にこの辺は物騒なんだから、ちゃんと気をつけていなくちゃだめよ。この前も私の知り合いがこの下の8Avで...」とシーツを替えながらしゃべっていた。

あーこんな所やっぱり住めないか...危険すぎる...四月か五月には、ブルー・コーツという日本のビッグ・バンドで一緒だったアルトのリンちゃん(林文夫)と、テナーの小山ちゃん(小山よしひろ)が来ることになっている。とりあえず一回日本に帰って、みんなと一緒にもう一度こちらに出直してこようか?...などとベッドに寝そべって考えていると、ドアにノックの音。「ハーイ、ここハイデヒコ・タナカ(アメリカ人はよくHidehiko をこう発音する。)の部屋だろ?...」と男の声が僕らしき人の名を呼んでいる。僕の名前まで知っているので、てっきり警察が昨日の取り調べに来たのだと思ってドアを開けると、ジーンズを着た2人の若者。あれ?と思いながらも「ポリス?」と訊くとビックリした顔で「ノー、ノー、何でだよ?これこれ。」と後ろを指し示す。見るとちょうど電話ボックスほどもあろうかという巨大な木の箱。そう、これは僕が日本を発つ一週間ほど前に、船便で送った僕のベースが、一ヶ月以上かかってやっと着いたのだった。

 兄ちゃんがこれにサインしてと紙を差し出す。そしてその巨大な箱を部屋に入れ、また何か言い出したが、言っていることが分からないので、「サンキュー。」を繰り返していたら、肩をすくめて帰っていった。

部屋には電話ボックスと僕が残された。これでいったん日本に帰って出直すのも難しくなったなぁ、などと考えながら、それをぼんやり見ていたら、急に、さっき兄ちゃんが言っていた英語の見当がついた。  これどうやって開けるの?箱は頑丈にできていて、素手では微動だにしない。隙間からのぞくと、ベースが何本もの木の棒で頑丈に留められている。  後で誰かにハンマーでも借りなくてはどうしようもないな...と思ってとりあえずあきらめた。今日は何もする気にならない。結局、後でハンマーを使って中のベースを取り出すのに3日もかかった。

この日は結局怖くて外に出る気にもならず、夕方、外に出ないで、そのままホテルのロビーから行けるデリでサンドイッチを作ってもらい部屋で食べた。 次の日、少し外に出てみる。しかし街は以前とは全く景色が変わってしまったかのように僕には写った。人がこちらに近づいて来るだけでビクッとしてしまう。

傷を縫ってくれた医者に、一週間後に抜糸に来るように言われていた。いったい、いくら請求されるんだろう。救急車まで来て、手術...。

 一週間後病院に行って、受付で用件を伝えると、この前とは違う医者がカルテを見ながらやって来て、「何針縫った?」と訊かれた。そんなこと言われたって知らない。だいたいカルテに書いていないのか?

 医者は顔を近づけ傷を確かめている。「うーん、4針?いや3針だな...」と言って、なんといきなりその場でピンセットをポケットから取り出し、糸を抜き始めた。「もし後で違和感があるようだったら、また来てくれ。」と言って請求書のような紙を僕に手渡し、受付の方をアゴで指し示し、忙しそうに廊下に消えて行った。  いくらくらいの請求額なのだろうと、こわごわ受付に行ってその紙を渡す。受付の人は黙ってそれ受け取り、そのままどこかにしまった。そして他の事をやりだしているようだ。しばらくして、まだそこに立ったままの僕を見て、「まだ何か?」という顔をした。僕が「ハウ マッチ?」と訊くと「オー イッツ フリー (タダだよ)」と言った。しばらくは意味が分からなかった。「じゃあ、もう行っていいの?」と訊くと、その人は勿論だという風にうなずいた。

外に出るとほっとした。街の景色がまた少し変わったように思われた。思うに僕はまだニューヨークに来て2ヶ月も経っていなく、その頃の観光ヴィザ、3ヶ月以内、まだれっきとした観光客の身分なのだ。観光で大きな収益をあげている市としては、こういう場合タダで面倒をみてくれる、ということだったらしい。