Memoir : 42丁目・場末の安映画館
日本では英語など勉強した事が無かった僕の英語は、それでも来てからの一年で、かなり良くなってきてはいた。

最初などデリにサンドイッチを買いに行った時、店の人に「What kind of bread?」(パンはどの種類だ?)ときかれても何だかさっぱり分からなかった。こちらのデリでサンドウェイッチを買ったことのある人ならわかるだろうが、こちらでは、レタスやらトマトやら玉ねぎやらのオプションが用意してあって、自分で好きなものを選んで、自分流のサンドウィッチを作ってもらうのが通常の注文方法だ。レタスやトマト、スイスチーズなどは、指を差して伝えることができたが、この最後の質問、「What kind of bread?」が分からなかった。なぜなら“Kind”という英語、僕の頭の中では、“親切”という意味でしかインプットされていなかったのだ。よってサンドイッチを注文している事と結びつかない。とにかく向こうが“親切”と言うのだから、僕はおかしいとは思いながらも「Thank you.」としか言えない。これには向うも困ったようで、色々と言ってくるのだが、ちんぷんかんぷん。しまいにはこの店員、ありとあらゆる種類のパンを持ってきて、一つずづつ指差し、自分の口に持っていくしぐさをしだした。ここで僕もピンときた。帰ってから辞書をひく。Kind (種類)、1つ英語覚えた。

ある時、火の出るような凄いソロを終え、大喝采をとったトランペッターに“You are fire!!!”「お前はクビだ!!!」 と言ってしまったことがある。このトランペッター、最初は怪訝な顔をしていたが、僕の感激している表情を見て“Oh, you mean I’m ‘burning’?”と言い直してくれた。あー、こういう場合“バーニング”と言うのか、また1つ英語覚えた。(ちなみにスモーキン!でも良い。)そして家に帰って辞書でYou are fireの意味を知ってビックリ。そりゃ言われた方もビックリしただろう。もしFireという言葉を使いたい場合は“You are on fire”と‘on’を入れれば良いそうだ。

そのころの僕には、何千ドルも出して英語学校に通うなど全く無理。経済的な理由は勿論、僕自身、大の学校アレルギー。学校は中学校の時からもう嫌いだった。いや、もしかしたら小学校?だから同窓会などに行こうなどと思った事一度も無し。よく学生の頃、中学や高校の先生が「お前ら、何だかんだ言ったって、今が一番楽しい時なんだぞ。社会はそう甘いもんでないからな。いつか自分の学生時代が一番楽しかったなぁー、と思い出す時がくるんだ!」と言っていたのを今でも覚えている。が、僕にとってはそれ大ハズレ。学校を卒業した時から幸せが始まった、と言っても過言でない。僕にとって学校は監獄だった。10 年ほど前までは夢の中で、学校に引き戻され、先生にみんなの前で「おまえはそんなもんばかりやっているから、こんな問題も解けないんだぞ!」と叱られ、メチャクチャ焦っている夢を良く見た。夢の中のその僕の横には、僕のベースが横たわっているのだ。そういえばこの手の悪夢、最近やっと見なくなった。最近たまに見る夢は弾いているベースが壊れていく夢、ベースが無くなってしまった夢、これも悪夢である。しかしこの系統の夢、お酒を何日も続けて飲みすぎた時に見ることがほとんどなので、ベースは自分の体を現していると思っている。そんな時は飲みすぎに注意。飲んでない時、また適度に飲んでいる時には見ない。

そんな僕のニューヨークでの英語の勉強はまずTV。そして映画。82年から83年にかけての映画のヒット作は‘フラッシュ・ダンス’‘トレーディング・プレイス’(日本名‘大逆転’)そして何といっても‘ET’。これらの映画は英語的には初級かな?

そのころ42 丁目の8と9アベニューの間は、とてもすさんだ感じで汚く、ポルノ・ショプと安映画館が並んでいた。その頃は、42丁目の映画館といえば、今ロードショーしている映画に、少し前の映画がついた2本立が多かった。中はもちろん汚く、座る前に気をつけなければ、ジュース、食べ物のカスなどで汚れているシートも多かった。壊れているシートが目立ったし、スクリーンの写りもなにか薄くてぼけているような感じがしたものだった。しかし朝は8時ごろから上映しだし、夜は明け方までやっていて、朝早く行くと確か$3くらい、昼ごろ行くと$5くらい、夕方にかけては確か$6だった。そのころ普通の映画館は$7くらいだったと思う。もちろんロードショーの一本だけでだ。

 しかも、この安映画館は、他の映画館のように、一回しか見れない、ということもなく、一日中いても誰にも文句は言われない。そんな訳でホームレスの溜まり場のようにもなっていたが、お金のない僕は、この安映画館には良く通った。ある冬の夜中過ぎに入ったら、黒人の母親とその子供2人が一番端の席で寝ていた。でも画面が明るくなったり、音が大きくなると子供達はむずがって、椅子のなかで体を動かしすすり泣くので、それを母親が慰めていた。ハードな生活だ。この手の映画館ではよくこういう人々を見かけたものだった。

この42丁目界隈の映画館では、お客も映画の登場人物と一体化してしまうことがよくあった。

 ある時‘エネミー・マイン’というSF 映画を見ていた。この映画最初から戦いのシーンで始まる。前方のど真ん中に座っている若い兄ちゃん、映画の主人公と完全に一体化していて、飛び交う弾丸を右、左、時には席から飛び上がってよけながら、「危ない!あっちから敵がやってきているぞー!」などと主人公に叫んで知らせたりもしている。この手の客の行動、他のちゃんとした映画館でなら、注意、もしくはガードマンを呼ばれるハメになるだろうが、ここはなんと言っても場末の映画館、周りの客も慣れている。

しかしこの映画、始まってから10分ほどで主人公、弾丸に当たって死んでしまうのだ。勿論これはSF映画なんだから、この主人公、どうにか生き返るのだろう、と思って観客は見ている。だが、この兄ちゃん、主人公に弾丸が当たったとたん、「ぎゃー!」と叫び椅子から跳ね上がり「何っていう映画だ?こんな事信じられない!ファック!こんなひどい映画見たことねぇー!最悪だ!」と怒りまくり、そのまま席を立ち、出て行ってしまった。

これには周りの客達も驚き、あきれ顔で笑っていた。ちなみにその後10分ほどでこの主人公は生き返る。その途端に客の1人が、「さっきのバカ、まだどこかにいねぇーか?主人公生き返ったぞぉー!」と叫ぶと、なんとしばらくして、その男は帰って来て、それからは比較的おとなしく最後まで見ていた。(なんでおとなしくなってしまったのかは、謎だ。)

また、ここで見る恐怖映画も最高だった。客達が一丸となって映画の人物に向かって「そこの家には入るな!」などと叫んだり、「ほら、お前、後ろに気をつけろ!」などとスクリーンに向かって叫びまくるのである。そして、殺されてしまうと「ぎゃーーー!!!」と叫び、「だからさっきからあたしが何回も言ってたでしょう!あたしゃこの映画、3回も見て知ってんだから!」とマジで言うのだ。そしてそれを聞いた他の客が「俺は5回目だ!」などと言い返したりして、もうわけわからない。

そこの映画館から、ちょうど42丁目を渡ったところにあったカンフー専門映画館では、入った途端にマリファナの匂いが漂っていることが多かった。そこは映画が始まっても、館内の電気を消さないことが多々あった。おそらく何をやり出すか分からない連中がたくさんいるからだろう。

ある客は大きなラジカセを聴きながら映画を見ていたりする。回りの客もあまり注意しない。たまにその音が大きすぎると警備員がやって来て「おい、もっと音を小さくしろよ!それともヘッドフォーンで聴けないのか?」などと言うくらいだ。要するにほとんどの客はストーリーなどどうでもよく、決闘シーンだけがお目当てなのだ。それまでは自分の好きな音楽をラジカセで聴いている奴がいたり、隣の席の友人達と騒いでいたり、マリファナのまわし吸いをしていたり、なんか食っていたり...しかし悪役が出てくるやいなやヤジが飛び出し、決闘となるとみんなで叫びまくりながら映画のシーンに溶け込む。悪役が勝ちそうにでもなるとスクリーンに向かって罵声と共に、ポップコーンの嵐が飛びかう。すると清掃係が出て来て上映中に掃除が始まる。そういう意味でも、暗くしないのかもしれない。映画の中の悪役が勝ちでもすると大変だった。中には興奮しすぎてコーラなどの飲み物をスクリーンに投げつける奴もいた。スクリーンにコーラが飛び散る。さすがにこういう場合には警備員が飛んで来て、そいつは襟首を引っつかまれ映画館から引きずり出され、文字どおり外に放り出されるハメになる。

そのカンフー専門映画館の横の劇場ではロッキー・ホラー・ショーをやっていた。これ以前は、ずっとヴィレッジで上映されていたのだが、いつのまにかここ42丁目に移って来ていた。その頃、すでに10年以上はやっていたと思う。大ロングランで、その頃のもっともニューヨーク的な映画+パフォーマンスがそれだった。日本でも上映されたので、知っている人も多いと思うが、これはロッキー・ホラー・ショーという映画にあわせて、役者達も一緒に芝居をするという映画+パフォーマンスで、おちおちしていると、客もその芝居に引き入れられてしまう。また観客の中にも役者が仕込まれていたりして、どこまでが本当なのか分からなくなる観客参加型、実験的パフォーマンスだった。急に傘をさしだす人がいて、何だろうと思っていると、次にプールに飛び込むシーンが現れて、それに合わせてかなりの水しぶきが飛んでくる、といった具合だ。もちろんスクリーンから飛んでくるわけではないので、誰かが水をまいているのだろう。客も何度も通っているらしく、セリフを覚えて一緒にしゃべっているマニア系の人も何人かいた。

この42丁目界隈、今ではテーマ・パークのように綺麗で、健康的になってしまった。あの頃の映画館はもうどこにも存在していない。