Memoir : バリー・ハリスのJazz Cultural Thatre (84冬)
リックス・ラウンジでの最初のGigに勇気づけられ、84年を迎えた。ニューヨーク生活2年目。

しばらくして、またギターのスティーブに誘われて、恐々とバリー・ハリスのジャズ・カルチャル・シアターに顔を出した。バリーはとても暖かく迎えてくれたが、僕の英語はまだひどいもので、ほとんど話が通じなかったが、スティーブがやさしい英語で僕に通訳してくれていた。僕の話すスゴイ英語も、スティーブはだいたい僕が何を言おうとしているか、くらいは分かるようなのだ。

とにかくその後も何回かバリーのジャズ・カルチャル・シアターに顔を出していたら、バリーから彼の教室のアンサンブル・スタッフになってくれないか?と訊かれた。アンサンブル・スタッフとは彼の授業中、リズム・セクションとして生徒に付き合う役目をするミュージシャンのことだ。ドラムはジミー・ラボレス。週に3日か4日ほどの仕事。これは僕にはありがたかった。毎日のように、バリーやその他色々な素晴らしいミュージシャン達に会って話したり、演奏したりできるのだ。それに少ないがちゃんとギャラもでる。お金を貰ってバリーのレッスンを聴けて、ジミー・ラボレスと一緒に演奏できる。歌の生徒達とありとあらゆる曲をエニイ・キーで演奏し...etc。ここでの経験が、その後のニューヨークでの、僕のプロ・ミュージシャンとしての将来を決めたと思っている。

とにかくこの店、さすがバリーがやっているだけあって、毎日のように色々なミュージシャン達、特にピアニスト達が遊びに来て、世間話をしたり、音楽のアイディアを交換したりしていた。というかこの人達にとって、世間話とは音楽の話し。

ここによく顔を出していたミュージシャン達は、ピアノではウォルター・ビショップ・ジュニア、ウォルター・デイヴィス・ジュニア、トミー・タレンタイン(スタンリー・タレンタインの兄でトランペッター、ピアノもとても上手かった。)ジャッキー・バイアード、そしてバリー自身が敬愛してやまないピアニスト、伝説のクリス・アンダーソン、その他の楽器ではミルト・ジャクソン、アート・ブレイキー、フィリー・ジョー・ジョーンズ、ジョー・ジョーンズ・ジュニア、スティーブ・グロスマン、ジュニア・クック、ヴィンセント・ハリング、そして伝説のC・シャープ、その他数えきれないほどの素晴らしいジャズメン達が出入りしていた。その中には若かりし頃の、今や世界的に活躍しているミュージシャン達も数多くいた。

それらの素晴らしいミュージシャン達が、バリー共々みんなでピアノを囲み、例えば、ラウンド・ミッドナイトのコードの話しを始め、一人一人、自分の好きなコード・プログレッションをピアノを弾きながら話しだしたりする。自分のコードだけでなく、あの時のマイルスはこうだったとか、あの時モンクはこういう風に弾いていた。そのコードはハンッコク本人に教えてもらったのだから間違いないはずだ、などと言う風にみんなでだんだん熱くなって、話しは止まらなくなる。そういう風景を、生徒達もそばで熱心に聞いていた。そういえばこちらに来てから、このラウンド・ミッドナイト、誰一人として同じコードを使っていないので驚いた。ピアニストによってかなり違うし、しかも毎コーラス違う場合も多いので、演奏中はいつも耳をそばだてていなければならない。まぁこの曲に限らず、ニューヨークでは色々な曲が、人によってかなり違うことが多い。本人も前回どういう風に弾いたか覚えていない場合もある。また歌伴でも、歌手の持ってきた譜面通りに弾くピアニストなどあまりいないので、歌手もほとんど譜面を持ってこない。よって他の楽器はピアニストを信じてついていくことになる。

そのアンサンブル・スタッフをしばらくやっているうちに、そこで毎週木曜日、ドラムのクリフォード・バーバロがやっているジャム・セッションのハウス・ベーシストも頼まれた。ピアノはクリフォードと共にライオネル・ハンプトン楽団にもいたことのある、個性的なジョン・スプレル。とても素晴らしいトリオで、このハウス・トリオでも、とても良い経験をさせてもらった。しかしこの頃のニューヨークではアコースティック・ベーシストの数が少なく、ジャム・セッションでもベースだけは誰も来ないという時がよくあった。その場合、僕は4時間弾きっぱなし、ということになる。さすがにぶっ続けで4時間ほど弾くと、もうくたくたになった。それなのに、終わりの頃にヴィンセント・ハリング(僕が知っている限り最もパワフルなアルト。その頃は毎日のようにストリートで一日中吹いていた。しばらくするとナット・アダレーのバンド、ホレス・シルバーのバンドなどで活躍するようになった。)がやってきて「チェロキー!」と叫びバカ早いテンポで10分以上も吹きまくり、こちらを見て「オイ、ベース、疲れたような音をしてるぞ!カモン!!!」だって。

このメモアールを書いていたら、ちょうどバリーが一週間ヴィレッジ・ヴァンガードに出演していたので、行って来た(2006年2月8日)。バリーの演奏はちょうど一年ほど前、ジミー・ラボレスのメモリアル・コンサートの時に久しぶりに聴いただけで、それ以外は15年近く聴いていなかった。数年前に脳溢血で倒れ左手が以前のようには動かなくなった、とは聞いていたが、今回のヴァンガードでの演奏はそれを補って余りあるほどの味とソウルが滲み出たすばらしい演奏だった。誰でも歌いやすい甘いメロディ・ラインを弾けば、美しい音になるだろうが、筋金入りのビーバップ・ライン、つまらないミュージシャンが弾くと無味乾燥な、数学的な音の羅列になってしまい、感情を入れるのが難しい複雑なラインを、こうまで暖かく、美しく歌い上げる事のできるピアニストが他にいるだろうか?そして今回はバリーのボイッシングの美しさにも感動した。これも比類をみない。相変わらずバリーは今でも音の探求をやめていないようだった。フレンチ・インプレション的なサウンドを、さっと自然に取り入れ、そのハーモニーだけを両手を使って出したりする。以前はなかった、(少なくとも僕の知る限りでは)かなりのオープン・ヴォイシィングだ。

ここのところバリーは、彼自身が敬愛してやまず、自分のリサイタルには必ずゲストとして迎えていた伝説的ピアニスト、クリス・アンダーソンの音楽も自分の音楽としてかなり消化しているように思った。僕は歌手のロディー・カーがとってきたブルー・ノートのブランチ・ギグやバリーのリサイタルなどで2、3回ほどクリスと演奏した事がある。彼のことはまたいつか書くつもりだが、バリーの演奏を聴いていたら急にクリスのピアノも聴きたくなって、チャーリー・ヘイドンが1997年に録音したクリスとのデュオ・アルバムを買って、ここのところ毎日聴いている。

話しをバリーに戻すが、とにかくビーバップをこれだけ耽美的、幻想的に演奏できるのはバリーだけだ。聴いていて涙が出てくるほど美しくやさしい音をしていた。 確かに僕が良く知っている20年前の音とは違ってきていたが、まぎれもないバリーのサウンドだった。あの演奏が熱くなっていけばいくほど、ぐーっと自分のソウルの中に沈み込んでいくような熱くなり方、その感じを久しぶりに思い出して何とも懐かしくなった。

ジュニア・マンスの場合は熱くなると彼のソウルから発せられたパワーがこちらに飛んできて、それが僕の体にぶつかり、その暖かいパワーのようなものに包まれる、という感じなのだが、バリーは熱くなるとこちらが向こうのソウルの中に吸い寄せられていってしまう、という感じなのだ。

この熱くなり方の違いは勿論2人の音楽の違いに現れている。僕としてはどちらの熱くなり方も、本当に言葉では言い表せないほど気持ち良く、インスピレーションを与えてくれる。やり方は違っても、音楽を通してソウル同士が触れ合っている、というところでは同じ事が起こっている。また彼らの年齢になっても、これほどのレベルの内面的なパワーを持っているミュージシャンは、そうやたらにいるわけではない。世界的に有名、又は歴史に名を残すミュージシャン達でも、年齢とともにそれらを失ってしまう場合も多いのだ。

僕は若い時にはビーバップは何も感じない音楽だった。でもそのころ最も多かったピアノ・スタイル、マッコイ・タイナー、ハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレットなどのような演奏を目指していた日本人ピアニスト達で、ニューヨークから帰ってきたとたん、ビーバップ一筋に転向した人を何人か知っていて、不思議に思った事があった。なんで今さらビーバップ?と。でも僕がニューヨーク来て、現役ビーバッパー達の生の演奏を聴いて、その迫力とクリエイティブさになるほどと思ったものだった。

ただし僕はマッコイ、ハービー、チック、特にキース・ジャレットは今でも大好きである。2005年の11月、カーネギー・ホールでおこなわれたキースのソロ・コンサートは最高だった。

バリー、そしてジャズ・カルチャル・シアターの思い出は数限りなくある。これからも少しずつ書いていくつもりだ。
初めてのバリーとのギグ。(84年頃)名前は忘れてしまったが、リンカーン・センターのそばにあったレストランだ。ドラマーは写っていないがパパ・ジョー・ジョーンズの息子、ジョー・ジョンズJrだった。 まだ若い僕、バリーの毎コーラス変わっていくコード・プログレッションに一生懸命についていこうとしている。かなり緊張している顔だ。
バリー・ハリス・ジャズ・カルチュアル・シアター・ジャム・セッションのハウス・トリオ。ピアノはジョン・スプリル、ドラムがクリフォード・バーバロ。
これは88年、バリーのリサイタルのリハーサル風景。ピアノはバリーが敬愛するクリス・アンダーソン。この頃はジャズ・カルチュアル・シアターはもうクローズした後なので、イースト・ヴィレッジに今でもある、ユニバーシティー・プレイスという所をかりてやった。