Memoir : グリーンカード・セッション at 東京アメリカ大使館
この話は人々の間でのまた聞きのまた聞きで、かなり話が変わって伝わってしまっているのを耳にした事がある。おそらく、グリーンカード取得のためアメリカ大使館でベースを弾いたのは僕一人くらいだと思っている。でももしかして他にもいます?とにかくこの出来事の後、僕からこの話を聞いたある歌手は、始めから大使館へマイクとアンプを持っていって歌ったそうだ。またある寿司職人は寿司飯、寿司ネタを持っていって握ったとか...?

とにかくこれが本当にあった話。

それは91年だった筈だ。ある日、チェルシーのアパートメントに帰って来ると、郵便入れに茶色でかなり大き目の封筒が詰め込まれてあった。オフィシャルな感じ...見た瞬間、もしかして?でもまさかぁ~...という感情が一気に押し寄せてきた。

差出人を見てみるとイミグレーション。まさかが一変、確信に変わった。やったぁ~!しかしこれを申し込んだのは1年前で、当選の通達が来る時期は半年以上オーバーしているはず?でも中を確かめると、とにかく間違いは無かった。後で聞いた話だが、その時の募集は一人何通出してもいいということだったので、人によっては3千通も出した人がいたらしい。ちなみに僕は一応10通出そうと思って書き出し、9通目でめんどうくさくなり、まぁいいかと9通出していた。とにかくイミグレーションは、あまりもの数の多さにパニックになったとか、いかにもアメリカらしい。(そんな訳で2 回目の応募からは一人一通、もし2通以上出してそれが見つかった場合、その人は失格ということになった。) よって同じ人に何通も通知が行ったらしく、予定の募集人数を大きく下回り、繰越しで僕に番が廻り、当選ということらしい。そして次の日、僕の所にももう1通当選の通知が来た。同じ名前で同じ住所に住んでいる人の所に、何で2通も出すのか、よく調べなさい。これもこの時代のアメリカの太っ腹、というところか。しかし2通目は全く用が無いのでみんなに見せびらかし、もしかして売れないか?とも思ったが、そんな事をして捕まったら身も蓋も無い、と思いやめておいた。

それから日本でのインタビューの日まで、6ヶ月以上はあった。しかも僕が日本に帰る1日前に、かの湾岸戦争勃発。こらぁー、なんちゅう時に戦争おっぱじめるんじゃい! それはグランド・セントラル・ステーション近くの大きなレストランでの演奏中に始まった。急に明かりが点滅し、「残念ながら我々の祈りも空しく今戦争が勃発しました。一分間の黙祷を捧げましょう。」というレストラン・オーナーからのアナウンスがあり、演奏を中断して我々はステージの上でお客さん、ウエイター達と共に黙祷を捧げた。それが終わって演奏が始まっても「明日も飛行機ちゃんと飛ぶんでしょうねぇ?あの~僕のインタビュー...」など自分の事ばかり考えて、演奏どころではなくなってしまった。

とにかく空港へ。空港は特別警戒態勢に入って込み合っている事だろうから、出発の3時間前には行った方がいい、という友人の忠告に従って朝早く6時ごろ着いたら、ほとんど誰もいなくガランとしていて、意味無く3時間以上待つことになった。セキュリティーもすいていて、手荷物検査もろくにされず、あっという間にパス、ビックリして警備の人に「もう終わりですか?」と訊いたくらいだ。もっと検査してくれても良いのに、まだ時間ありあまっていますからぁ~!...

飛行機はジャンボ、その大きな機体に客は10人ほど。スティワーデスがどこでも好きな所に座ってください、と言っていたので5、6人分の席を占領して横になる。

82年に日本を発ってからその間1回も帰っていない。清く正しくオーバー・ステイ9年。空港バスの窓から9年ぶりに見る東京は、ごちゃっとした箱庭のよう。

渋谷からタクシーに乗る。ドアを開けようとしたら、勝手に開いたのでビックリ。乗り込むとシートは真っ白、運転手も白い手袋をはめている。走り出すとラジオから流れ出した演歌、日本に帰った実感の瞬間だった。

東京、アメリカ大使館。中には緊張した面持ちで待っている人がたくさんいる。しかし僕の場合は抽選で当たったのだから、とリラックス。でもまだ英語があまり自信ないので、僕担当の女性係官に、「日本語でインタビューしたいのですが。」と言ったら、あなた9年間も居たのでしょ?英語でやります。と言われ一変に緊張。以下の会話は、全て英語で行われた。

「あなた9年間住んでいて税金はどうしていたの?」

そんな事言われたって、オーバー・ステイしていたわけだから払ってない。そんな事は係官も知っているはずだ。

「払っていないのなら、来た時から去年の分まで8年分払ってください。」

ガビーンである。そんな話聞いていない。

「あの~、払うってどうやって?」

「向こうのビルのX階にタックス・フォームがあるので、それに書き込んで払ってください。」

半分パニックになり、そのビルに行って8年分のフォームをもらおうとしたが、ここ3、4年分のしかないという。勿論初めて見るその厚い申告書を見たって、どうやって書いていいのかなど見当もつかず、どこかで税理士でも雇わなければならないのか、また金額は全部でいくらになるのか...などと考えながら元の場所に戻り、また番号札を取ってドキドキしながら待つ。

「あの~これだけもらってきたんですが、5年より前のは無いそうです。また、この申告書をどうやって書き込んだらいいのか解りません。誰か税理士をここで紹介してくれませんか?」と恐る恐る尋ねると、簡単に「あ~、それではその事は結構です、忘れてください。」ときたもんだ。わざわざ他のビルまで行って取ってきて、待たされた挙句のあっけない返事。これってもしかして嫌がらせ?

「えーと、それではあなたはミュージシャンということですが、それではそれを証明して下さい。」

「???...そんな事言われたって、どうやって?そんなの誰からも聞いていない...楽器なんか持ってきていないし。あのぉ~僕の楽器は大きくて、そう簡単に持って来れるようなものではないのですが...それに僕は抽選で当たったわけで無条件でグリーンカード取れるはずだったと思うのですが?」

「無条件?書類のどこにそんな事書いてありました?その個所を私に示せますか?」

えっ、書いてないの?...目の前が揺れている。

「とにかくミュージシャンである事を証明して下さい。それが出来るまで、永住権の発行はできません、以上。はい次の方どうぞ。」

唖然からパニック、そして呆然。あのぉ~、僕グリーンカード当たったんでしょ?係官はすでに次の人と話していて、何か質問しようとするとぶっきらぼうに番号札を指差すだけ。この番号札を取っても、まわってくるのには1時間以上かかる。

このままだとアメリカにはもう入れないし、今、日本に住む所なんか無いし...頭の中が真っ白になり、ただ呆然とたたずむ。

ふと気づくと、職員らしき男の人がドアから出て来て、僕の前を通り過ぎ際に何かブツブツ言っている。顔も目も別の所を見ていて、最初は誰かに話かけているのかと思ったが、そばには僕以外誰もいない。どうやら僕に聞かせたいらしい。

「とにかくあきらめないで自分で出来るだけやってみる。どうにかなると思う。」などと、あっちの方を見ながら早口でしゃベっている。でもこの言葉ピンと来た。少なくともここに味方がいる。きっとこういう場面を何回も見てきているのだろう。でも、僕に話かけているのを他の職員には見られたくない理由があるのか。。。

椅子に座り、まずは冷静になってこれからの対策を考え始めた。そうだ、誰か昔の知り合いに僕がミュージシャンだったという事を書いてもらおう。エレキベースをレンタルするか?いやエレキベースじゃインパクトにかける、やっぱりウッドベースだ!やってやろうじゃないか!

僕はすぐパニックになるが、それを超えると居直りパワーというか、ヤケクソになる、半分切れる。中間があまり無い。もし僕がピアニストだったら、グランド・ピアノでも運び入れるくらいの勢いがついてきた。まずは昔講師をやらせてもらっていた、ラブリー音楽院、松本英彦さんに一筆頼もう。

すぐ大使館を出て駅で電話番号、住所を調べる。まだそのころ松本さんは元気だった。もしかしてツアーにでも行っていたらどうしよう...祈る思いで電話、在宅との事で一安心。事情を話し、さっそく行く事にした。そしてその頃大変お世話になっていた、クラッシク・ピアニストの霧生トシ子さんに電話、理由を説明し至急ウッドベースを調達してくれるよう泣きつく。その日のうちにどうにかしてくれるとの事、感謝。

久しぶりにお会いした松本さんはとても元気そうで、快く達筆で手紙を書いてくれた。

「アメリカ長いんだってねぇ、頑張っているみたいでなにより。僕も一時アメリカ行きを誘われたんだけど、何て言ったって僕の時代の人間には、そのころまだアメリカは敵国というイメージだったからね。とにかくグリーンカードを取って、これからも頑張ってください。」と励まされ、とりあえず宿泊所に戻り、その手紙を英文に翻訳しだす。もしかしたら、正規の翻訳者にやってもらわないと意味の無い事かもしれないが、先ほどの大使館員の「とにかくあきらめないで自分で出来るだけやってみる。どうにかなると思うよ。」の言葉をしっかりと胸におさめながら英文にしていく。

朝一番に霧生さんの家にうかがい、氏紙さんというベーシストが貸してくれたベース、感謝を込めてお借りした。

忘れていた事があった。それは東京、朝のラッシュアワー。出来るだけすいている車両を見つけて大きなウッドベースを抱えて乗り込む。それでも毎駅ごとに人がなだれ込み、ベースが押しつぶされそうになるのを必死に両手で押さえた。人が好意で貸してくれた楽器だ、壊しては大変。そんな時、ある男性が「それ楽器だろ?」と声をかけてきた。「はい。」と答えると「おーい、みんな押すなよ!ここに大きな楽器を持った人がいるんだ。これすごぉ~く高価なんだぞぉ~!」と言ってくれ、僕と一緒にベースをかばってくれた。電車を降りる時も、その男性が人をかきわけて下ろしてくれた。ここでも感謝。何かみんなで僕を応援してくれているようだ。

アメリカ大使館の門が見えてくる。近づいて行くとその門を警備している日本の警官が、怪訝そうな顔でこちらの方を見だした。門で「インタビューに来ました。」と言って書類を見せても、ベースを指さし「それは何ですか?ここはアメリカ大使館ですよ。そんなもん持っては入れませんよ!」

「でも、昨日インタビューで係官に、『自分の職業を証明しろ、でないと永住権はあげられない。』と言われたのでこれを持ってきたんです。これが僕の職業なのですが。」

「そんな事言ったってあんた、そんなもん持って来いなんて言うはず無いでしょう?ここは大使館ですよ、アメリカ大使館!」

「それではとにかく、Kさんという女性係官に訊いてみて下さい、彼女がそう言ったのだから。」

「あーそうですか、でもまさかそんな大きなもん...」と言い残しビルの中に入って行った。しばらくして、その警官、頭を掻き苦笑しながら戻って来て、

「失礼、それを持って入って下さい、そういう風に言っていました。」それから彼は、決まり悪そうに同僚に向かって「アメリカ人の考え方というか...分からん...」などと話し始めていた。

ビルの入り口は、アメリカ海兵隊員達がガードしている。そこに行くと「ワオー、それベースだろ?コンサートやるのかい?楽しみだな!でもとにかく一応チェックさせてくれ。」と言われ、ケースを開きチェック。「後で聴きに行くからな、頑張れよ!オーライ、メン!」と海兵隊員達の喝采を受け入場。整理券を取って待つ。

僕の番が周ってきたのでベースをかついで窓口へ。係官、それを見ても動じる気配無く「はい、それでは証明して。」

僕がベースをケースから出し始めると、何と驚いた事に、向こうからギターをかかえ調子笛を吹きながら、別の大使館員が現れ、

「こちらでもミュージシャンを用意しました。」と紹介された。そのギターを大使館員チューニングしながら、

「それではセイント・ゴー・マーチング・イン、Dでお願いします。」僕は状況に唖然としながらも、

「ちょっと待って、あなたのギターまだ全然チューニングできてませんよ。」

それからまたピーピーとチューニングするのだが全然合わない。僕はもしかしたらこれもテストされているのかと思い徹底的にチューニングさせる。彼は「おかし-なー...これであっていると思うんだけど...」と顔を真っ赤にしながらピーピーピー...

そして演奏が始まるとさらに驚いた事にこの人歌い始めた。

「オー・ワンダー・セイント...」ニューオリオンズ出身なのか、特に黒人の海兵隊員が手拍子を取り始め「オー、ライド・オン、メン!!!」との大きな掛け声。他の海兵隊員も持ち場を離れ、集まって来て手拍子に参加。オオウケにて終わった。

するとその係官「それでは次はユー・アー・マイ・サンシャイン、同じくDで。」えーっ、まだやるの?

ここで状況を説明しておこう。ここは別室でも何でもなく、沢山の人々が緊張して待っている所である。その人達は目の前で起こっているこのコンサートなど見向きもせず、ただひたすら神経質そうに書類を見つめたり書き物をしている。そしてギター兼ボーカル係官、僕担当の女性係官達はガラスの向こう側にいるのだ。

とにかく2曲目ユー・アー・マイ・サンシャイン、これも歌入りで海兵隊員、他の大使館員達の手拍子、口笛の伴奏付きでオオウケにて終わった。

アンコールの声まだ鳴りやまぬうち、僕担当の係官が「はい、これ。」とグリーンカード発行証明書を差し出しながら、

「サウンド・グレート!今度ここでパーティーがある時演奏してくれる?それともギャラ高いかしら?」

あまりにもあっけなく出てきたそれは分厚い封筒だった。僕はまだこれからそれに色々と書き入れるものだと思っていたら、これで全て終了しました、おめでとう、ということである。後はアメリカに戻った時、入国地の空港で書類の検査があり、2週間ほどでグリーンカードそのものが送られてくるということだ。あまりにも急なエンディングであった。

そう、僕は抽選に当たったのである。この書類なんか、もうすでに始めから用意されていたのだろう。しかしアメリカ大使館としては、9年間もオーバー・ステイしていた者に、そうは簡単に渡せない、という気持ちがあったのか、無かったのか...海兵隊員達の「オーライ・メン、ウェル・カム・トゥ・ザ・ユナイテッド・ステーツ!」という声を後ろに聞きながら大使館を出て、やったー!!!と飛び上がった。