Memoir : 中央アジア旅行記 00~01

No.2 ネパール(ヒマラヤ・トレッキング、カトマンドゥ、パタン)編 12/12/00 - 12/21/00
12/12/00
ルクラを出発
ばかでかい奈良の山之辺の道? そこに何とフランク・シナトラの声が...
谷川に架かる橋にて
とても荒っぽい気候だが谷川の流れは別世界のように美しかった。
朝の4時20分ごろ起き、5時すぎに宿を出た。まだ暗くて霧の渦巻く通りでタクシーをつかまえ値段の交渉。空港に着くとまだ早すぎたので開いていなく真っ暗。ただ凄い霧の中、月が霞んで見えていた。暗い中で30分ほど待つ内に人々が集まり出してきた。

これまた寒い待合室で待つこと4時間、7時発の飛行機が霧のため10時半ごろやっと飛び立った。15人乗り位の小さなプロペラ機である。そのなかに日本のテレビ局の撮映クルーが乗り込んでいて、ヒマラヤが見えだすと撮影しだした。クルーの一人が、ガイド兼通訳の人に、「もう少し向こうの方へまわれないか。」とパイロットに言ってくれ、などと話していた。飛行機の中から見るヒマラヤ山脈は、地球そのものの大きさを感じさせた。

30分ほどすると向こうの方の崖淵に、削られた小さなシミのような平地が見えてきた。ルクラの飛行場なのであろう、そこをめざして飛行機は飛んで行く。あんな所に無事着陸出来るのだろうかと思ってしまうほど、それは小さく切り立った2804mという高さに浮かんでいた。 小さい飛行場なのでタッチダウンしてから即急ブレーキ、そして右に切るような形で止まった。ガソリンの臭いが鼻をつくなか飛行場に降り立つ。よくこんな所に着陸できたものだと感心していると、中国系の、日に焼けたがっしりした青年が近づいてきて、こっちだと案内しようとする。もうガイドはこりごりだったので、しばらく無視しているがカトマンドゥのギミレ氏の事務所から雇われている、正式のトレッキングガイドのジャムジョという名の青年だとわかり、恐縮して自己紹介する。

まずは目の前にある大きな山に圧倒された。このルクラがすでに2804mという高さなのに、ここから見てもまだ天に向って突き出るようにそびえ、神々しく全く人間の感傷など寄せつけない大自然の厳しさをたたえていた。空気は乾燥していて冷たく、気のせいか少し薄く感じるが、とても気分が良く極度のハイ状態になっている。なぜか息を頭のてっぺんでしているような錯覚におちいった。そして風が強い。この山を見つめているうちに自分の体が消えてしまって、ただ意識だけがそこにとどまり漂っているような気分になってきた。しばし放心状態。 そんな状態を次の飛行機の爆音が吹き飛ばす。霧でかなりの便が遅れていたせいであろう、その後に何機も連なって、両方が切り立った崖淵をゆらゆらとこちらの方に突っ込んで来るや、けたたましい音をたて次から次へと砂埃をあげながら着陸してくる。ガソリンの臭いが凄いのでロッジの中に退散、昼食をとる。中ではさっきのジャムジョというガイドが注文を取りに来た。ここのロッジは彼の叔父さんがやっているという。僕は昨日の油っぽいスパゲッティーもどきのおかげで、胃がすっきりしないので、ポリッジというおかゆのようなものをたのむ。これは全く味無し。塩をふりかけてみるが、泥を溶かしたものを食べているようだ。奥さんは焼きそばでこれはまあまあだが、やはり何か土臭い。この土臭さ、泥臭さは、これからこの山のどこで食べても味わうことになる。水のせいなのだろうか。

12時すぎにジャムジョと3人で出発。左手に飛行場。そして果てしない断崖絶壁の向こうに薄い雲が流れ、その上に山々が突き出ている。もう飛行機は1機もいなくなっていた。 あまりもの雄大さに圧倒され、凄い所に来てしまったなと緊張感が体の内を突き抜ける。 ちょっとひるんだ気持ちでいると、まるで鼻歌まじりで自分の庭でも散歩するように歩き出したジャムジョに勇気づけられ、我々も歩きだす。

ちょうどここからのトレッキングの道あたりは小さな村でロッジ、小間物屋が並んでいる。ジャムジョが粉ミルクを買う。子供が産まれたばかりなのだそうで、途中で家の者に渡すとの事。5、6頭の黒い牛系のヤクという動物が荷物を乗せて運んでいる。牛追いが独特の声でヤクを扱っている。そのヤクの目がとても愛らしかったので、近くに行って触わってみようとすると、ジャムジョに止められた。むやみに触わると危ないらしい。

最初の道程はかなりの下りであった。真青な空のなか頂上に雪を頂き、高くそびえる山々を背景に小さな店や家が所々にあり、またマントラを彫った大きな石、祠などがある。そして段々畑が作られていて、なかなか味の有る田園風景である。スケールをばかでかくした、奈良の山辺の道とでもいおうか。

が、なんと驚いた事に突然フランクシナトラの歌が流れてきた。誰かが家で聴いているようだ。人は自分のいる環境と全く違うものに憧れる場合も多い。この大自然も山々も彼らにとってはあまりにも当たり前の事なのだろう。彼らがそう思っている事は、以降何回か彼らと話しをしていて感じる事になった。この素晴らしさに感動してしゃべりまくっている旅人達に、いちおう相槌はうつものの、あんまり気が入っていないのだ。まあ考えてもみれば毎日毎日会う人すべてが同じような事を言うのだろうし、ここに彼らは先祖代々住んでいるのだ。旅人達と共に毎回感動しろ、という方が無理な話しである。それにしてもシナトラとは...

下に降りきって清らかな谷川沿いをしばらく行くと、いよいよ道は登りが激しくなってくる。日が照っている所はダウンを着ていると暑いので脱ぐと、日陰では汗が凍りそうなぐらい寒い。こんな荒っぽい気候は今まで経験したことがない。

5時頃、今日の宿泊地パクディンに着く。1階のリビング兼食堂の中央にだるまストーブが置いてあり裸電球がともっているだけで、3階建ての山小屋にある暖房器具はそれだけ。それぞれの部屋には電気も暖房もトイレも、勿論シャワーも無い。何も無い。トイレも1階に1つしかなく僕達の部屋は3階なのでたいへんだ。しかもそのトイレの中は冷凍庫のように冷たい。 それぞれの部屋は寒いので、みんなリビングに集まりストーブを取り囲んで雑談したり、本を読んだり、トランプをしたりしている。その中にストーブに靴下をかざし乾かしている人がいたので、僕もカトマンドゥで洗濯してからまだ乾いていない靴下を持ってきて、その人の横で乾かし始めた。

お互いに自分の靴下をストーブにかざしながら世間話。彼は僕達が明日向かうナムチェから来たとのこと。僕達はまた少し両替の必要があったので彼にその事について訊ねると、彼は地元の人で、そこは大きな町、銀行でも何でもあると自慢げにいろいろ説明してくれた。

そしてカナダから来たカップルと高山病のことなど話し合う。彼らは薬を持って来ているので必要な時はいつでも言ってくれ、何なら念のため1錠持っていくか?とまで言ってくれたのだが、ネパールに来てから風邪薬、下痢止めとけっこう薬を飲んでいたので、もうこれ以上薬はできるだけ飲みたくなかった。今のところ平気でもあるし又高山病など僕達には縁の無いものとかってに決め込んでいたので、ありがとう、でもだいしょうぶです、と言って、その親切さに感謝だけしておいた。

ジャムジョが来て夕食のオーダーを取り始める。ここも彼の親戚が経営しているとのこと。僕達はダルバート(カレー定食)を頼む。これはかなり素朴な味だがまあまあいけた。

食後カトマンズで買った絵葉書を書き始めるが、興奮状態のうえ、書きたい事がありすぎ、かえって何を書いていいのかわからず、結局最も平凡な内容になってしまう。周りではいろんな国の言葉が話されており、その中でも低い声で話しをしているシェルパ達の響きが、何か夢の中で行ったお伽の国ででも聞いたかのようでとても耳に心地好い。

9時ごろ、寒くて凍えそうな部屋に戻りろうそくを灯し、リュックから服を有るだけ掻き出し寝袋にくるまって寝た。奥さん、さすが北海道出身、寒さには僕より強いようである。  僕はしばらくするとトイレに行きたくなり懐中電灯を持ち、3階下の冷えきったトイレまで。しゃがみながらそのまま便器に凍り付かないよう注意しながら用を足した。 

12/13/00 ヒマラヤ・トレッキング 2日目
遠く微かに初めてエヴェレストが見えた
真ん中に見えている白いところがエヴェレスト
ついにナムチェ村に到着
朝七時ごろ起き、外にある井戸の凍えるような水で顔を洗い朝食。ナガルコットのノリタケの店で会った日本人のカップルがその時食べていて美味しそうだったので、いつか注文しようと思っていた、こんがりと茶色に焼けたチベタンブレッドを注文してみたが、それは硬くて味が無い。塩の味すらしない。そして無難だと思ったトースト、スープもまずい。バターまでが何か泥臭い味がする。そしてこの日より体調を崩し始めたので、ここから旅の日記は二十日まで書く事が出来なくなり、その日にまとめて奥さんの日記を参考にして、八日分を思い出しながら書いたものである。

とにかく朝は元気に出発した。道はだんだんと厳しさを増していくが、景色があまりにも雄大なので自分も雄大になったと思い込み、調子に乗って駆け足で岩の道を登ると、大変な息切れ状態に陥り、ハアハアと立ち止まりしばらく動けなくなる。普段ならこのくらいはなんでもないのに、やはりここは非常に高度が高い所だと思い知らされる。早く登りすぎると高山病にもかかりやすいというので、以後自重するが、ここらあたりから脳味噌が少し膨れてきたような感じで、微かに頭痛の兆しがある。一応タイラノールを飲んでおく。水も多めにとるよう心がける。そして僕の肩に背負っているバックパックの中の荷物をいくつかをガイドのジャムジョが背負ってくれることになる。

道を歩いているとこんな美しい自然のなかに、インスタント食品の空袋が捨ててあるのが気にかかる。こういう物は土に返らないので特に見苦しく残念。ジャムジョにこれは何かときくと、「ネパールの人、平気でこういうもの捨てる、困った事だ。」と言う。まあ少なくとも外国からわざわざこの山にやって来るトレッカー達は、こんな物をこんな所に捨てたりはしないだろうと信じたい。それにそれらはネパール製のインスタントラーメンの空袋なのでやはり地元の人々が捨てたのだろう。それにしても誰か掃除しようと思う人はいないのか。

昼頃モンジョという所にある小さな食堂で一休み。そこでルクラに来る時の飛行機にいっしょに乗っていた、日本のテレビ撮影隊のガイド兼通訳をしている人と再会する。カメラクルーらは僕達がふうふう喘ぎながら歩いている道を、なんとも軽々しく進み撮影スポットで雄大な景色を収めていた。そのガイドの彼が今度の六月にニューヨークへ行く予定だというので名刺を交換した。

そして今度は昨日宿で一緒になったカナダからのカップルにも会う。僕が、ほんの少しだけ頭痛がしだしたのでタイラノールを飲んでおいた、と言うと、高山病にはそれは全く効かないから、と言って薬を一錠くれた。今回は礼を言い、おとなしく貰っておくことにした。

昼食はあんなに空袋が捨ててあったので、中身の方も気になり、そのインスタントラーメンを注文してみるが、とにかくまずい、これまで土臭い味がする。やはり水か?

これからが急な登りで大変になるらしいので、奥さんが僕に杖を買っておけという。なに、年寄りでもあるまいし必要ない、と言ったのだが、いつも鍛えている僕と違い、もしかして奥さんが必要になるかもしれないと思い、一つ買う事にした。

そこからすぐ先のジョルサレという所で正式に国立公園へ入るという事らしく、そこのチェックポスト小屋で手続きをすませた。そこにもトレッキングの注意事項の一つとして、子供達にお金や物を渡さないように、との貼紙があった。ゲートには赤茶のベレー帽をかぶった警備隊員がライフルをもって物々しく立っていた。

この辺りを過ぎ少し行くと急に私四十才ほど老け込んだらしく、杖をつかないと歩けなくなってきた。奥さんピンピンしていて先に行って景色を見ながら僕が追いつくのを待っている。僕はそんな余裕が無くなりつつあるのだが、ここまで来て景色を見ないなんて、なんともったいない事かと思い、ゆっくり立ち止まり呼吸を整えあたりを見まわす。 素晴らしい景色に包まれながら、ここはどこ?私はだれ?と何か夢を見ているようだ。 頭痛は思ったほど悪化はしなかったので、もらった薬はまだ飲んではいないが疲労度が凄く、カメのペースになってきた。それまで奥さんといつも先を歩いていたジャムジョが、僕と一緒に立ち止まりぴったりとついているようになった。いつ崖下に転落してもおかしくない状態にでもなっていると思われているのか。。。

「だいじょうぶですか?」と訊かれて、返事をしようとしても、ハアハアという息以外もう声も出ない。しかしその質問は一度きりで、あとは黙って僕の傍にいたり、他のガイド達と話しをしていてくれたので、かえって気は楽であった。

今日の宿営地ナムチェが遥か見上げるかなたに見えてきた。僕にとってそれは天国ほどに遠く、高く、思われた。 「おい、君達、何でそんな高い所に住まなければならないのか!そこまで行かなければならない人の事は考えないのか?降りてこい!」などと理不尽な怒りがこみ上げて来たとたん、一歩も足が前に出なくなった。埃っぽい地面を見つめながらたたずむ。しばらくして顔を上げると向こうの方で奥さんがこちらを見ている。大丈夫だ、というふうにうなずいて、またしばらく地面とにらめっこ。一歩も動けない。

どのくらいの時が流れたのだろう、ようやく十歩だけ頑張って歩こうと決意する。

...歩けた...

...そして十回深呼吸をする。同じ事を繰り返す。カメの復活だ。

しかし、しばらくすると十歩が五歩になり、深呼吸が二十回になった。

永遠という観念と一体になりかけるほど、悠久なる時が経過したと思われたころナムチェの村に入った。ここは急勾配な山肌に作られた素晴らしく美しく、神秘的で昔話にでも出て来そうな村であった。思わず目をみはってしまい、そのおかげで一時的に疲れを忘れさせてくれた。

清水が村の中央にある道に沿って勢いよく流れ、所々に水車が回りその小屋の中ではお経の書かれた円筒の筒が回っている。村を見上げると、まだそのかなた上の方に雪を頂いた大きな山々がそびえたっている。その壮大さの前に、この村はなんと頼りなく小さく見えることか。しかしそれだからこそ逆に、そこに住み生活している人々の力強さを感じた。

四時ごろ山小屋に到着。二階建てで根本的には昨日の所と同じような作り。しかしトイレはその建物の中にはなく20mほども離れた小屋に有る。シャワーを浴びるならお湯を沸かしてくれるというので、ジャムジョに頼む。

シャワールームはトイレの横、屋根に大きなバケツが吊ってあり、それにお湯を入れるという原始的な代物である。はたしてそのお湯は何分もつのやら。こんな寒い場所、途中で無くなったら凍死する。奥さんにバケツのなかを見ていてもらいながら、急いで体と頭を洗う。五、六分位、思っていたより長くもった。同じようにして奥さんも浴びた。

今日も中央の大きな薪ストーブを囲むように席を置いてあるリビング兼食堂兼キッチンに人々が集まっている。ここはキッチンも一緒にある所なので、宿の人達が料理を作っているのを見る事ができる。ジャムジョもお湯を沸かしたり、オーダーをとったりと忙しく立ち働いていた。ここも彼の親戚の宿らしい。要するに僕達のこのトレッキングは全てジャムジョの身内でかためられているようである。

僕達の隣にあの薬をくれたカナダ人の親切なカップルが席をとり、具合はどうかときかれたので、「風邪をひいたアルツハイマーの患者が二日酔いになった時みたいだ。」と答えると、「それは大変みたいね、薬飲んだ?」と言う。この時点ではまだ大した事ではないと思っていたので、これ以上悪くなったら飲むと答えた。むこうは二人のうち彼女は大丈夫なのだが、彼の方が何回か飲んでいるとの事であった。

食欲は全く無いのだが何か食べないと体がもたない。高山病にはニンニクが良いとジャムジョが言うので、ガーリックスープとトーストをたのむ。スープは生ニンニクのすりおろしを、お湯で溶かしただけという感じで目が寄るほどである。しかし薬だと思い飲み干した。パンは数切れしか食べられなかった。

二階の寒い寒い部屋に帰るが、高山病には水をたくさんとらなければならないというので、かなり飲んでいるせいかトイレがちかくなり、外の遥か彼方のトイレまで何回も通うハメになる。勿論電気などついていないので、暗い中、懐中電灯を灯しながら闇の中を行くのである。そして外に出る大きな木のドアには大きな重いカンヌキがかかっていて、毎回それを持ち上げ、開け閉めしなければならない。またそれが、けたたましい音をたてるのだ。

三回目ぐらいだったか、もうなれてきたので懐中電灯を持たずに半分寝ぼけて下に降りて行ってみると暗闇の中で大きな物にぶつかった。獣臭い。いっぺんに目が覚めよく見てみると牛。しかもその後ろにもう一頭いる。よく山道でみかける荷物を運んでいる黒いヤクという牛系の動物。ルクラで始めて見た時、近くに寄って触わってみようとしたら、危険だ、と言われたやつ。山道で出会うとみんな道をよけて通り過ぎるのを待っていたやつ。ぎょっ!トイレに行った誰かが面倒くさがってカンヌキをかけないままにしておいたのであろう、そしてここは外より暖かいのでドアを押し開け入ってきてしまったのだ。おい!その面倒くさがりや、出て来なさい!しかし牛も眠かったとみえ、こちらを興味も無さそうに見ているだけでおとなしいものであった。安心してその横を通り抜け外に出た。

しかしその大冒険のお陰で息切れがはげしくなり出口のそばに座り込むと、満天の星が視界に飛び込んできた、と思うと急に宇宙の彼方に吸い上げられ、漂いはじめた。星が目の前数センチにのところにあるかと思い触わろうとすると、実はかなり離れている事に気づく。

寒さを感じたとたん元の場所に引きずり降ろされていた。急いでトイレをすまし戻って来ると、今度は入り口のドアの所で三頭目の牛が中をうかがっていて入り口を塞いでいる。シィッー、シィッーとやっても一向に動く気配無し。こちらも寒くてもう外では待っていられないので「あの、少し横によっていただけませんでしょうか?」と牛語で丁寧にお願いし、牛の横腹を押しながら無理やり中にすべりこみ、もう二頭の牛の横を通り抜ける。フウフウ喘ぎながら階段を登っていると牛達が何かにぶつかりでもしたのだろう、下からガラガッチャンと何かが倒れ転がる大きな音がしてきた。

...私は何もしていませんからね!

この度重なる大冒険のおかげでまたどっと疲れ、このあたりからとめど無しに咳と痰が出るようになる。もう二度とトイレまで行けない状態になっているので以降ペットボトルを使う事にした。

強力なニンニクの臭いがこみ上げてきたと思ったとたん、さっき飲んだスープをもどしてしまう。悪臭がそんなに広くない部屋に漂う。もう掃除する気力も無く、奥さんがかたづけているのを霞んだ意識の中で見ている。

体は疲れきっていて眠たいのに、ひっきりなしに咳と痰が出ているので眠れない。うとうととしかけ少し息が浅くなると窒息状態のようになり、目が覚め起き上がってしばらくハアハアと息を整えなければならない。起き上がって左のひじを左足の腿の上に乗っけている時だけ咳が止まる。そのまま眠り始めるとまた窒息状態になって目が覚める、それの繰り返し。

ついにもらった薬を飲んだ。ほんの少しは効いているようだがさだかでない。明日は一日ここに留まり体を高山に慣らし明後日出発の予定になっている。ほとんどの人はそれで慣れるらしいというので、薬も飲んだことだし明日に期待した。しかし‘起き上がって左のひじを左足の腿の上に乗っけている’というのは半分起き上がった状態なので毛布がすぐずれ落ち、下半身は寝袋に入っていても肩のあたりが寒い。

ばかでかい奈良の山之辺の道? そこに何とフランク・シナトラの声が...

下に降りきって清らかな谷川沿いをしばらく行くと、いよいよ道は登りが激しくなってくる。日が照っている所はダウンを着ていると暑いので脱ぐと、日陰では汗が凍りそうなぐらい寒い。こんな荒っぽい気候は今まで経験したことがない。

最初の道程はかなりの下りであった。真青な空のなか頂上に雪を頂き、高くそびえる山々を背景に小さな店や家が所々にあり、またマントラを彫った大きな石、祠などがある。そして段々畑が作られていて、なかなか味の有る田園風景である。スケールをばかでかくした、奈良の山辺の道とでもいおうか。

が、なんと驚いた事に突然フランクシナトラの歌が流れてきた。誰かが家で聴いているようだ。人は自分のいる環境と全く違うものに憧れる場合も多い。この大自然も山々も彼らにとってはあまりにも当たり前の事なのだろう。彼らがそう思っている事は、以降何回か彼らと話しをしていて感じる事になった。この素晴らしさに感動してしゃべりまくっている旅人達に、いちおう相槌はうつものの、あんまり気が入っていないのだ。まあ考えてもみれば毎日毎日会う人すべてが同じような事を言うのだろうし、ここに彼らは先祖代々住んでいるのだ。旅人達と共に毎回感動しろ、という方が無理な話しである。それにしてもシナトラとは...



12/14/00
ナムチェ村(標高3440m)と山々
ほとんど記憶無し。一日中咳そして痰を吐き続ける。呼吸の方は少し楽になってきたがこの程度では明日出発は無理なのではと思う。この日はむりやりスープをスプーンに一口二口すすっただけである。水を飲むのも面倒くさくなってきた。

この近くにエベレストもよく見える見晴らしの良い所があるというので、奥さんに行って写真を撮ってきてくれるよう頼む。朦朧とした意識のなか夜が明け、今日もとっても良い天気だなぁ、と思い、気が付くと夜になっていた、という一日であった。



12/15/00 ヒマラヤ・トレッキング 4日目
昨日からの咳と痰でほとんど眠れず食欲ゼロ。寒いというのも感じなくなってきた。周りにスピリット達が見え出す。人間やら、色々な動物達が部屋に漂っているのが見える。そしてそれを見ている自分に何の不自然さも感じない。「あなた達はスピリットなの?」ときいてみるが彼らのいる世界は違う次元ででもあるのか、何の反応も示さない。気味が悪いという感じは少しも無く、逆に楽しく気持ち良い。

お昼頃にロッジの前の暖かい所、宿のおかみさんがジャガイモや、にんじんの皮を剥いている横で奥さんと日向ぼっこを2時間ほどする。この時は痰だけで咳のほうは止まっていた。しかし奥さんはもうこれ以上僕にトレッキングを続けさせるのは無理だと思ったようで、ガイドのジャムジョと交渉してポーターを一人雇い二日かけて、なんと籠で僕を担いで降りることにしようと思っている、と告げられた。これでこの旅行に出る時ニューヨークの地下鉄の中で思った、ヒマラヤに死す、というのもなかなかかっこいいじゃないか、というロマンがチャバンに変った。

奥さんがこの交渉をジャムジョとした時のようすを後になって話してくれたところによると、結局僕とその荷物全部を背中に担いで二日かけて飛行場のあるルクラまで降りなければならないので、もう一人ポーターがいる。かなり重労働なので全部で100$かかると言う。他にどうしようもないので彼女が頼むと、彼の顔に、やった!という嬉しそうな表情が浮かんだという。貧乏な人の年収が50$弱のところである。

この日、日向ぼっこの後またダウン。しかし横になると咳と痰がひっきりなしに出るので眠れない。夜スープ少し、パン数切れむりやり押し込む。



12/16/00 ヒマラヤ・トレッキング 5日目
絶景のナムチェ村に別れを...
籠にかつがれ無念の下山
その姿を奥さんが面白がって記念写真
モンジョ村にて昼食
ほとんど眠れず朝を迎えた。やはりこれ以上トレッキング続行は無理だ。最初の目的地だったタンボチェをあきらめ、籠の人となることにする。

朝ふらふらしながら部屋を出て杖を使いながらゆっくり宿の階段を降りる。もう荷物はすべてジャムジョにまかせてある。朝日を浴びながらジャムジョと彼の雇ったポーターが、荷物用の籠の一部を切り取り、人が乗れるように改造しているのを、情けない気持ちで見詰めている私。そのポーターの名はエディー。名はアメリカっぽいが赤ら顔で土の匂いのする、もろシェルパの顔をしている。ジャムジョと始めて会った時は、彼にとても素朴な山の人間らしい、という印象をもったものだが、エディーと並ぶと彼がまるで洗練された都会の人間に見えてしまう程であった。

何回か足を乗せる板を調節し乗り心地良くしてくれ、ジャムジョとエディーに交互に担がれて降り始める。これはとても楽であったが、すれ違う人々みんな何が起こったのかと覗き込んでいくので、意識の無いふりをした。

途中休みの時、ジャムジョがサモサというマッシュドポテトをぎょうざの皮のようなものに包んで揚げたものを十個ほどエディーに渡すと、あっという間に水も飲まず、ムシャムシャと八個ぐらい平らげてしまったので驚く。これは一つが日本のぎょうざの三倍はあろうかというもので、かなりパサパサしていて、僕など一つでも水無しには食べられないし、二つも食べればもうけっこうという、代物なのだが。

11時ごろモンジョに着き奥さんは昼食。僕は一向に食欲がわかず、ほんの一口スープをすすり横になって30分ほど、うとうととする。この数時間で、高度は一気に600メートルほど下がったはずなのに、具合の方はほとんど変わらない。

12日に泊まったパグディンには、一時頃着いたらしいがそのあたりの記憶はあまりない。

その夜、うとうととしたまま変な夢を見る。そこはネパールのどこかしらの町。聖者がたくさん集まっている所、その信者達がいっぱいいて、そこに咳をしながら死にそうになっている僕がいる。人々はみんな、「そなたを治せるのはスッパババ(スッパ聖者)以外にはおられない、だから彼のところへ行きなされ。」と言っている。いったいその人は誰ですか?とたずねると、イタリヤからはるばるとやってこられたスパゲッティーババ、略してスッパ ババ。なにぃーっ?

とにかくその人が治してくれるかもしれない、と言うのでその聖者を探し、行ってみると、頭からトマトソースのようなものをかぶり髪の毛はそのため固まって、ほんとうにスパゲッティー状態になっている赤い顔をしたスッパババと対面する。「そなたの咳を止めるには大きく胸を開き、氷のように冷やしなされ。悪魔を凍らせ殺してしまうのじゃ。」と言われたので、胸を開けて冷やし始めると少し楽になったような気がする。しかし寒いので、こんなことでだいじょうぶかな、と思う。すると横にいた信者が、「よく聖者様をご覧になるのじゃ。そして信じなされ、祈りなされ。完璧に信じ祈った時にこそ救われるのじゃ。」とおっしゃる。が、見つめれば見つめるほど信じられなくなる、という風体なのだ。 どこかからか、あの聖者の言う通りにした者のうち30%は助かったが他はみな死んだ、だからだめだと思ったら無理するな。という声が聞こえて来る。しかしその30%に入りたいのなら100%信じなければならないとも言う。30%しか助けられない聖者を100%信じろというのは、数学的見地から見ても無理があるのでは?などと思っていると、 「ひで!いったい何やってんのよ!」と言う奥さんの声で目が覚めた。ほんとうにこの寒いなか、寝袋から上半身を出し、重ね着している服の胸元を大きく開けていたのだ。この病気には逆に胸を暖めなさいと言われ、宿のおばさんがわざわざ湯たんぽまで用意してくれたのだ。しかし「冷やしたほうが良いのだ。」としばらくそのままでいたが、ほんとに目が覚め出すと、とても寒いので結局は、はいだ服を元どおりにして、湯たんぽを胸に抱きしめ寝袋の中にまた潜り込んだ。

しばらくするとまたスピリット達が見え出す。そしてけっして僕の呼びかけには反応は示さないのだが、そのスピリット達に囲まれていると何だか安らかで気持ち良くなって来た。



12/17/00 ヒマラヤ・トレッキング 6日目
死んだふりをしているのが一番楽
今回のトレッキング出発点、飛行場があるルクラに戻って来た。ここで景色を見ているだけでも飽きない。
今日も籠の鳥、いや籠の人になり担がれて降りてゆく。ルクラの近くまで降りて来たら、そこいらのガキ達が、「ビギナー、山のアマチュアだ!」などと言って僕を指差しながら、からかうので死体のふりをする。

やっとルクラに到着。ジャムジョが手配しておいてくれた診療所の人が来てくれた。ボランティアのドクターだと言う。彼いわく典型的な高山病で下に降りれば治るだろうとのこと。しかし唾液を検査すると、肺が何かの黴菌に感染しているらしい。抗生物質と咳のシロップをもらう。ドネーションも含めて10$渡した。

薬を飲んでしばらくすると急にドドドッと体の血が踊り出し、肺の中も何かブツブツと泡だって、体が一瞬燃え出した。薬が体の中を駆けずり回っているようで気持ち良い。しかしシロップの方は全然効かず、咳は全く止まらない。

今日はカトマンズに帰る飛行機は終わっているのでここ、ジャムジョの叔父さんの宿に泊まる事になる。夜は食堂に行く力も無いので部屋に運んでもらい、一、二口無理やり飲み込む。呼吸はかなり楽になっているが咳が全然止まらない。しかし疲れているせいか咳をしながらも眠っているようだ。



12/18/00 ヒマラヤ・トレッキング 7日目
ルクラ飛行場にて
今日も食欲全く無しだが、無理やりスープ、パンを少しとった。体が非常に弱っていて飛行場までの百メートルが歩けるかどうかわからない。 十時ごろ飛行機が到着したので、乗り場まで奥さんとジャムジョと杖の力を借りやっとたどり着いた。ジャムジョがさよならの印の白いマフラーを首に結んでくれ、みんなで写真を撮る。何から何までとても良くしてくれたジャムジョにお礼を言い、子供達にあげようと思って持って来たが、結局あげることに躊躇していたビックのボールペン20本くらいを、彼の子供と村の子供達でわけてくれと渡すととても喜んでいた。

飛行機はけっこう揺れたが、ボーッとなっている僕にはそれがかえって気持ち良く、うとうとし始める。ガクンと地面についたような気がしたので目を覚ますが、まだ千メートル位のあたりを飛行中であった。思うに飛行機が気圧調整をしたため高山病の僕の体が反応したのであろう。同じように飛行機がカトマンズに降りたち、そのドアがシューゥと鳴って開いたとたんにもガクンとなった。この時は血も逆流し始めたようになり、体の中がゴゴーッと鳴って顔のあたりに血が戻ってくるのが聞こえ、もとの気圧に戻った事を文字どおり体で知る。もう大丈夫と確信した。止めど無くでていた咳も痰もいっぺんに止まった。

しかし体はかなり衰弱していて、重心が頭の5センチ上にあるようでふらふらしている。たくましい奥さんに僕の荷物の一部を持ってもらい、杖をつきながらタクシー乗り場へ。カトマンズの排気ガスの中に戻って来た事を実感するが、なんと皮肉にも僕にとっては山の空気より体によろしいようである。

タメルのママズ ゲスト ハウスに戻りチェック イン。同じ部屋であった。しかしこの部屋はトイレ最悪、日当たり悪く、じめじめしていて気がめいる。

しかし疲れているせいか、その午後からあくる朝まで眠る。

そしてこの夜、夢うつつの中で、天上の調べのような音楽が聞こえてきた。それはストリングスのような音色をしていて、ハーモニーの流れだけでリズムもメロディーも無いのだが、えも知れぬ柔らかい黄金色の響きが僕の体を包み込み、その心地良さの中に体がとろけてしまいそうになるほどとても気持ち良く、しばらくその中に漂っていると、非常に聞き覚えのある和声進行であることに気づく。それはなんとオールザ シングス ユー アーであった。

それが終わると、今度はボブ マーリーの曲、ステェアー イット アップのアルペジオの多いベースパターンが始まり、それだけがえんえんと繰り返される。この単純な 繰り返しが体中を振動させ、これも又気持ち良い。しかしあえてなぜこの二曲がこういうふうな感じで聞こえて来たのかはわからない。

それらを聴きながらまたスピリット達が見えている。話しかけるが相変わらず反応無し。半分起きているような状態だが、夢うつつで眠たく、そのまま死んでしまいたいほど気持ち良い。 



12/19/00 ヒマラヤ・トレッキング 8日目
咳が止まったので久しぶりによく眠れ、かなり体は楽になっているが、歩くにはまだ杖が必要。しかし昨日カトマンズに着いた時、頭上約5センチあたりにあった体の重心は、額の上あたりまで降りて来てくれている。ちなみに山の上では僕の重心、頭上100メーターほどのあたりを漂っていたのだった。

朝、杖をつきながらよろよろ歩いていると昨日ヒマラヤ トレッキングから帰って来た時、僕達の宿の近くで声をかけてきた少しガチャ目で、茶色の乱くい歯が凄く、カエルのような大きなしわがれ声をだす僕の肩ぐらいまでしかないチビの少年?青年?(年がわからない!)が我々を見つけまた声をかけてきた。

彼の勤めている宿のほうが安くてきれいだ、というのだが、昨日は彼の外見が、あまりにうさんくさく、また我々も疲れていたので適当にあしらって、「明日考える。」と言ったのだった。しかし僕達も今のあの暗ら~い、臭さ~い部屋にはもう泊まる気はせず、再び会ってしまったことでもあり、とりあえず彼について部屋を見に行くことにした。

彼は「近道を通るから」としきりに繰り返し、ある裏びれた空地のなかに入って行く。しかしそこにあるのは壊れかけた真っ暗なビル、彼はその暗い中に入って行く。おいおい、やばくはないか?と思ったが、すぐ先に向こう側の路地が見えたのでついて行った。そしてそこを左におれると彼のホテルがあった。ちょっと奥まった所にあるので客引きでもしないと、ひろいの客はなかなか来ないのであろう。

トイレ兼シャワールームはきれいで、お湯も出ると言うし部屋も日当たりが良い。しかも値段もこちらの方が安いのでさっそく移ることにした。

カーテンを開けるとすぐ目の前が今通って来た廃ビルのような、壊れかけた真っ暗な建物なのだが、なんと驚く事なかれ、人が住んでいた。おそらく電気が来ていないのであろう、部屋の中は真っ暗で見えないが、その窓枠に洗ったばかりの洗濯物が干してあったのである。奥で人が動いている気配もする。

この日になってやっと少しだが食欲が出てきたようだ。といってもこの数日間ほとんど何も食べていない上、藥づけで胃がかなりやられているので、さっぱりとした日本食ぐらいしか食べられそうにない。旅に出ている間は現地の料理を食べなければ意味が無い、とがんばってきたのだが早々とギブアップ。

‘きりん’という日本レストランを見つけたので入ってみた。だが働いている人はみんなネパール人。日本人と思われる女性が従業員と日本語で話していたが、今ちょうど店を開けたばかりなのか客は僕達しかいない。サービスのつもりかウェイターがニコニコ笑いながらお香を持ってきて僕達のそばで焚きだした。普通なら僕は大好きなのだが体が弱っているせいか、匂いと煙がとてもきつく感じ、またそれはさっぱりした日本食には合わないと思ったので、消すかどこか離れたところに持って行ってくれるよう頼む。

ウェイターが持ってきたメニューに目を落すと、そこに書かれてあるそれらの文字にしばらく釘づけになった。どんなに偉大なる文学もその時の僕にはこのメニューほどの感動を与えることは出来なかったに違いない。なんとそこには懐かしい日本食の名前の数々が書かれているのであった!

気が遠くなるほど感動!まぁここのところ薬漬けで、しかも何日も食べていないので普通でも気は遠いのだが...胸の奥くから感動が唾となって込み上げてきた。感動しすぎてしばらく何を注文したらよいかわからなくなってしまう。何を注文しても、必ずその少し後に後悔する確信があった...

...そしてついに‘サバ定食’に軍配はあがった。

そんな風に僕の頭の中で食べ物世紀の合戦が行われている頃、さっき入り口の所で従業員と話していた日本人女性がこちらにやって来て、奥さんと話し始めていた。彼女は出井さんといってインドで染物の勉強をしているのだそうだ。すぅーと通った鼻にピアスをしていて、インドのサリーをまとい色白で細やかな肌をした、なかなかの神秘的美人である。京都から来ていて、半年間インドで染物の勉強をしてビザの更新の為ネパールに来ているのだが、すでに半年インドに滞在していたため、続けてすぐにはビザを発行してくれないのだという。しかしまだまだたくさん勉強しなければならない事が残っているので、どうしてもこのまま日本には帰りたくない、少なくともあと半年はインドで勉強したいという。ついては誰か良い方法を知っている人はいないものかと訊いてきた。

その時はこちらもそんなあてがあるわけでは無かったので、逆に僕達の方がこれから行くインドのいろいろな情報を教えてもらうことになった。

ここネパールは寒い、しかしインドに行けば少しは暖かくなるのでは、と期待していたのだがインドもこれから僕達の行く北の方はまだ寒いらしい。ネパールもこの寒いのに僕達の泊まるようなホテルにはブランケットぐらいしかない。インドに行けばもっと設備は落ちるというし、今我々の持っている寝袋は今日返さなければならないので、自分達のを買うことにした。

1時間も経ったであろうころ、やっとサバ定食登場。喜ばしいことに日本のと全く同じ味、大根卸しまで付いていた。とても美味しかったが胃が小さくなってしまっているようで半分位残してしまった。

そして近くに寝袋を買いに行く。今借りているものよりかなり小さいので、持ち運びに便利な上、保温効果の方はすぐれているノースワールド製のほぼ新品同様を二つで61$。かなり良い買い物ではないだろうか。

部屋に戻りシャワーを浴びようとするがお湯が出ない。あの客引きのチビ君の話だと、もちろん出る、ということだったのだが。やはりうさんくさい奴だったのか。しかしここ何日も浴びていないので、寒くとも体を洗う決心をした。

寒い時に水シャワーを浴びる時の心得

まず水が体にかからないよう注意しながら、頭を可能な限り少量の水でシャンプーします。その頭で少し温まった泡をタオルに取り、新たな石鹸を足しながら体を洗いますが、この間も出来るだけ少量の水でやる事が大切です。

問題は石鹸を流す時でしょう。この時はもう覚悟を決めるしかない!思いきり息を吸い込み、今までの人生であったあらゆる不愉快な出来事を思い起こし、全開に蛇口をひねりその水に向かって叫びながら、突進する...

奥さんは屋上で洗濯物を干している。ポカポカと暖かそうなので行ってみようと思い、杖をつきながら階段を登り出す。僕らの部屋は2階なのだが屋上は6階なのでそこまで登らなければならない。まだ体には階段がとてもきつい。ハアハア息切れしながらやっと屋上にたどり着くと、そこはポカポカと日が照っていて、見晴らしも良く天国だった。 奥さんとのんびりしているところにチビ君が上がってきたので、やはり水しか出ないじゃないか!と文句を言うと、そんなことはないと言う。どうせ適当にごまかされるのだろうと思いながらも奥さんが彼と一緒に部屋に下りていった。

僕は洗濯物の番をしながら、まだかなり残っている葉書を書き始めるが、まだ指先にも力が入らずヨレヨレの字になってしまう。しかし内容は高山病でまいった、というのだからそれも臨場感があっていいかと思うことにした。

奥さんもシャワーを浴びたようで、すっきりした顔で帰ってきて言うところによると、なんとホットシャワーが出たのだという。僕の扱い方が間違っていたらしい。チビ君なかなか責任感が強いらしく丁寧に説明してくれたようだ。これからは人を外見で判断しないよう決心する。

夕方ギミレ氏の事務所に、トレッキングの間じゅう預かってもらっていた荷物を取りに出かける。体の重心は目のあたりまで下がってはきているが、体力のほうはまだまだで早くは歩けない。

事務所で高山病、夜中の牛との遭遇の事などを報告。特に後者の話はウケた。そして何気なく出井さんの話をしてみるとギミレ氏何本か電話をした後、ビザの可能性あるかも、という。彼女に知らせねば...

帰りにギミレ氏の部下ヒマル氏とレンタルショップへ寝袋、ダウン、登山靴などを返しに行き、そのまま出井さんと会った日本食レストラン‘きりん’へ良い知らせを持って行った。彼女は‘きりん’の上にあるゲストハウスに滞在しており、ここが連絡場所になっている。帰ってくるのはいつだかわからないが、店の人がチャイをサービスするから少しゆっくりとしていったら、と言う。彼はとても日本語がうまく、日本人と友達になりたいらしい。ネパールの政治、貧困、排気ガス、そして彼の考えているこれからのビジネスの話など面白くした。

しかし1時間ぐらい待っても彼女は帰って来ないので、“可能性あるかも、明日会いましょう。”というようなメッセージを残して近くのタイレストランに行く。ここはかなり高級そうで中に入るとなんと暖房が効いていた。ネパールに来てから初めて暖房の効いているレストランに入った。客層はやはり観光客かお金持ちらしき人々ばかりで、値段もネパールの中級レストランの3、4倍はする。(といっても一品USドルで2~3ドルほど。)また内装もタイ風にしてある。しかし味の方はたいした事は無く、トムヤンクンというスープに入っていた筍などは硬くて、にがく食べられたものではなかった。

宿に10時ごろ帰り今日買ったばかりの寝袋に入って寝る。これはとても暖かく汗をかくほどなのだが、まだ体の芯が冷えきっているのか暑いようでいて寒い。



12/20/00 ヒマラヤ・トレッキング 9日目
これから1年もたたないうちに、乱射事件が起こり国王、王妃を含め10人以上の王族が殺害されてしまった。
朝、奥さんが、きりんレストランへ出井さんからのメッセージはないか見に行っている間、僕はまだ調子が出ず横になっていた。 奥さんが帰って来て言うところによると、出井さんから2時に‘きりん’で会いましょう、というメッセージが入っていたそうである。

今日の朝食は西洋風ベーカリーショップですることにした。ここはいつも前を通ると混んでいるので美味しいのだろうと思っていたのだ。ちょとしゃれた中庭があり、客はほとんどがヨーロッパ人である。そこで卵と野菜をイタリアンブレッドにはさんだのと、コークを注文する。うまい!

中庭には花が咲いていて、鳥達がいっぱい来ている。とてもなれていてテーブルの上にまでやって来て、ほんの数十センチの所でこちらを横目で見ながら、パンくずなどをついばんでいる。日もあたってポカポカしてきたので、しばらくその場のヨーロッパのような雰囲気にひたっていた。

今日も宿の屋上に這い上がり洗濯物を干したり、葉書を書いたりとのんびりする事にした。そして13日以来体調を崩してから書けないでいた、旅の日記を奥さんの日記を参考に書き留める。

このホテルはこの辺りでは高いビルなので周りの屋上も見渡せる。それぞれの屋上では女達が洗濯物を干したり、髪を染めたりしている。

2時少し前に‘ きりん’へ行き、僕、梅干しのおにぎり、奥さんは焼きうどんを注文。おにぎりは日本の米ではなく、パサパサのタイ米をにぎりやすくするためか、非常~に軟く炊き込み、にぎり固め、海苔を貼り付けたという代物で、塩の味すらしないので醤油をつけて食べる。焼きうどんもべちゃっとしていた。

出井さんと三人でギミレ氏のオフィスへ。その途中王宮の前を通りかかると人が集まっている。ネパール国王が出てくるらしく警護の車、オートバイなどが行き交っている。しばらくすると普通の大型バンに乗って出てきたらしいが国王の顔は見えなかった。ちょうどこの旅に来る前、マンハッタンのフィフスアベニューでクリントン大統領が通りかかるのを見た事を思い出した。それはとても規模の大きなものであった。僕は見逃したが奥さんには大きなリムジンの後部座席に座っている大統領の後頭部だけ見えたらしい。

結局ギミレ氏が出井さんと明日一緒にインド大使館に行ってくれるという。そして今回手数料は取らないで彼女を助けてくれる、というのでみんなで感謝。そして今夜はギミレ氏に僕がリクエストしておいたネパール音楽の聞ける店、というのに連れて行ってもらうことになり、6時半に会う約束をして宿に戻った。

6時過ぎギミレ氏との約束の待ち合わせ場所に向かって歩き出す。今日は僕の重心は鼻のあたりまで下がって来ている。 この街は夜になると、たとえメイン通りでも人の顔すら見分けられないほど街路灯が暗く、しかも道はどこにどんな物が落ちているか、穴が開いているか、動物または人間が寝ているかわからないのでたいへんだ。

暗い大通りでギミレ氏の車にピックアップされレストランに向かう。ギミレ氏は今乗っている日本製の車がどうしても欲しかったので日本から個人で運んできたら200%の税金を取られた、などと話している。彼は携帯電話まで持っている。ちなみに我々はニューヨークで、車はおろか、携帯電話も持っていない。ところで余談だが僕の友達でいくら説明しても無線電話(ワイヤレス・フォーン)と携帯電話(セルラー・フォーン)の区別のつかない奴がいる。

かなり街の外れの方なのか、だんだん人通りも家も無くなってきた辺りに、突然大きな宮廷のような建物が出現!(ほんとうにそこは以前宮殿だったという。)そこの駐車場に入って行く。現在はボジャングリハという超高級レストランなのだ。ギミレ氏に一人12$という値段を聞いていなかったら、そのあまりにも立派な建物に、急にお腹が痛くなったふりをして逃げ出す事を考え始めそうなほどだ。

入り口に向かって歩いていくと右側に脱穀機、その他昔の農機具のようなものが展示してある場所があった。ギミレ氏がそれらを説明し始めると、突然どこからともなく、制服を着た全く無表情な従業員が2人現れ、それらをやはり全く無表情に動かし始め当時のようすを再現しだした。そのあまりもの無表情さが、彼達はきっと心の中で「なんで俺達がこんな意味の無い仕事させられんだよう...」と言っているようでかえって可笑しかった。

入り口でサリーをまとった美しい女性に第三の目の辺りに赤い顔料をつけてもらう。そしてそこの玄関では一人のミュージシャンがサランギというウクレレほどの大きさで、縦に持って構え、チェロのように弓で弾く楽器を、あぐらをかいた膝の上に乗っけて、ニコニコしながら演奏していた。この楽器はネパールの代表的な楽器らしく、また手ごろな大きさのためか、町のいたるところの土産物屋で売っている。そしてこれを実際に弾きながら売り歩いている人逹も多く町で見かける。音色はバイオリンのようで、奏でる音はニューオリンズで聞いたことのあるケイジャンミュージックに少し似ている。

さすがもと宮殿を改装して作ったらしく、中の作りも立派であるが、レストラン用に改装したのであろう、もういわゆる宮殿のきらびやかな面影は無く、どちらかというと日本の田舎にでもありそうな、座敷がいくつもある大きな庄屋の屋敷という感じであった。我々は最上階三階の座敷に案内された。畳がひいてあって灯油ストーブがあり、十人ぐらいのグループが二組ほど入っていた。食卓もとても親近感があり、全体の印象はとても日本の田舎っぽいのだが天井の柄、照明、窓など細かいところに目をやると、絶対日本ではありえなく、その微妙な差を楽しんだ。 

二人の召使という感じのウェイターがやって来て色々な物を並べ始めた。つきだしの野菜からしてとても美味しい。そして銀の小さなカップに、黒い鉄の急須に入ったお酒を、わざと上の方に30センチくらい離してみごとに注ぐ。ギミレ氏はネパールの焼酎です、というがその味は日本酒と日本の焼酎の中間位で、ほのかな酸味と甘さ、そして芳ばしさがすっきりとブレンドされていてなんとも味わい深い。

「さて、なに飲みましょうか?」とギミレ氏、「今飲んでいるこのお酒がいいです。」と僕。「このお酒は飲み干したらいくらでも注いでくれます。」つまりこのお酒は料理のコースの中に入っているのだ。そしてこれから出てくる銀の小鉢に入った一品は全ておかわり自由だそうだ。

そんなわけでビールを注文した。これは不味くはないが普通の日本のビールっぽい味であった。

そしてポーク、チキン、水牛(ネパールもインドと同様ヒンドゥー国なので普通の牛の肉は食べない。)の肉をそれぞれ色々な香辛料で煮込んである一品の数々。ポテトと野菜を炒めた一品。豆のスープ。6~7品が出揃った。根本的には殆どの品がカレー系なのだが、それぞれ個性のある味付けをしているので飽きさせない。見事、文句なし!

次から次へと出てくる料理の素晴らしさを味わいながら、ギミレ氏とネパールの社会事情、結婚相手は今でも殆ど親が決めている、まだ男女が街中で手をつないで歩くなど考えられない、カーストの話などしていると、ミュージシャン達が4~5人入って来て演奏を始めた。ネパールの民謡であろう、踊り手も出て来た。インドのともチベットのとも中国のとも違う、少しラテンムュージックを感じさせる、喜びとユーモア、そして躍動感に満ち溢れた、リズミックな力強い独特の音楽である。楽器の編成は筒のような胴の両側に皮を張って両手で叩く太鼓、オルガンを小さくしたようなハーモニュウム、さきほどのサランギと鳴り物に唄である。踊り手たちは男、女それぞれお百姓さんが正装した?という感じの民族衣装を着ている。その中の一人のある男の踊り手は、ほんとうにイヤイヤそうに、いいかげんそうに踊りながら、それでいて踊りのツボは決してはずさない、というすっとぼけた、とてもいい味を出していて面白かった。休み時間にはサランギ奏者が客達にその楽器を触らせたり、教えたりしていた。これで12$は安い。しかもギミレ氏は商売上よくここに客を連れて来るのでそういう場合彼の分は只だという。世話になっていることでもあり彼の分も我々が払おうと思っていたのだが...チップを少し多めにおくことにした。

大満足して出てくると日本人のビジネスマンと思われる数人がやはり大満足という感じで出てきて写真をとり始めた。彼らにたのまれシャッターを押す。

帰りの車の中で、ギミレ氏の奥さんは東京でカレーの店を経営し、子供達2人はボーディングスクールで生活しているので、今は彼一人で住んでいる。などという話になり、家族ばらばらで寂しくないですか?と尋ねるとみんなそれぞれやりたいことやっているのでいいんです、と言う。その口調からはあまり暗さは感じられなかったので、家族の絆や信頼関係はしっかりしているのだろうと思った。

近くまで送ってもらい宿に帰り9時ごろ寝る。しかしあんなに食べ、飲んだというのにまだ体は冷えきっている。



12/21/00 ヒマラヤ・トレッキング 10日目
9時ごろまで寝ている。ここ数日、朝の3時ごろに目がさめ数時間眠れないのである。まぁしかしべつだん仕事がある訳でもなし、のんびりいこう。

いつもは自分達で洗濯しているのだが手で洗っているだけなので、おちない汚れが目立ってきた。そんな訳でコインランドリーを探すが見つからない。色々な人にきいてみるがコインランドリーという言葉をまず知らないようだ。「お金を洗うのか?」とでも思っているらしい。そしてここは高度のせいか湿度が高いせいか、全然洗った物が乾かないのでドライヤーはないかときいてみても、しばらく考えたすえ人差し指で空を指すのみである。ようするに太陽で乾かせば、ということらしい。

しょうがないので今日は1hランドリーなるところへ洗濯物を持っていくことにする。外に出るとあのチビ君がしわがれ声で、ホットシャワーはだいじょぶだろ!と声をかけてきた。色々と親切にしてもらったことだし、彼の言葉にウソはなかったようでもあるので、少しチップをあげると、普通でもしわくちゃの顔をますますしわくちゃにして喜んでいた。

ランドリーに行くと客がなにかしきりと従業員ともめている。おそらく彼の背広がしわくちゃになっているので、やり直せと言っているらしい。いくらたっても埒があかずここのオーナーらしき人がやって来るが、客はかなり興奮してどなりはじめた。1hサービスなどといってもこれでは待っているだけで1時間たってしまう。それにはたして我々の洗濯物はだいじょうぶであろうか?まあ僕たちのは皺になって困るような物はないけれど。結局この文句をつけていた客が軍配を上げ、もう一回やり直すらしい。 洗濯物をやっと預け昨日のパン屋へ。その後葉書を出したり、日本の親父に電話したり、土産物を買ったりして、ランドリーに戻ると気持ちよいほどきれいになった洗濯物ができていた。 

見晴らしの良いカフェで一休み
どこを見ても懐かしい感じがしてたまらない
パタンの路地裏
街中
今日は近郊のパタンという古都を散策の予定である。乗合バスといっても8人も乗ればいっぱい、というほどのオープンカーで、排気ガスの凄いなか鼻と口にハンカチを押し当てながら40分乗って、古い寺と建物の並ぶとても味わい深い町に着いた。

境内に入って行くとさっそくガイド希望者とおぼしき者数人が、一般の人々から我々を目ざとく見つけ出し、全くガイドではありませんから、という物腰で親切そうに話しかけてくる。ところがどっこい、もうその手には乗るものか!こういう者達はこちらのそういう断固とした心構えに人一倍敏感とみえ、寄って来てもすぐあきらめる。

ところで私の頭はヒマラヤトレッキング以来、いまだに気圧調整ができていないらしくボーッとしていて、しかも耳鳴りがする。それに二人とも今バスで来た時の排気ガスで気持ち悪くなっており、いくらここがパタンだからといって二人そろってパタンとたおれてしまってもシャレにもならないので、お茶でもすることにした。

二階の屋根にある、見晴らしの良いカフェに入った。近くではまたチベットのお経を繰り返す神秘的な音楽がかかっていて、それを聞きながらしばらくあたりの寺々をぼんやり眺めながら過ごした。

しばらく休んだ後、その辺りを散歩してみるが、寺以外の町自体は他の所と比べて特に面白いわけでもない。またあの排気ガスを吸い込みながらカトマンドゥへと帰ってきた。

バス停から最初に泊まったセンチュリーロッヂの方に向かって歩き出す。今日はいつもより人通りが多く、せまい歩道は歩きにくい。乳飲み子を抱えた母親が僕達の前になったり後ろになったりしていて、歩きにくそうなので先に行かしてあげようとするのだが、どうもようすがおかしい。よく見ると奥さんのリュック、一番外側のジッパーが開けられていた。そして僕がそれに気がつき奥さんに伝えた時点で、その乳飲み子を抱えた女はいなくなっていた。

奥さん「あ~、やっぱり。。。でも、私が振り向いても、すぐに子供とサリーの長い布を盾に手を隠してしまうから、しょうがないって感じ。リュックの外側にはたいした物は何も入っていないの知ってたから。」と落ち着いたものである。ジッパーが開けられているのもなんとなく気づいていたという。赤ん坊の下から手を伸ばしていたらしい。それこそ目の前で母親がこういう事をしているのがこの子の幼児体験になるわけだ。体で覚えるなんという英才教育!

センチュリーロッジの前まで行き写真を撮ってもう一度その辺りを散歩する。ガイド希望者がよって来ない所は無いかと、クマリの館(クマリとは毎年僧侶達などによって選ばれる少女の生き神様のこと。)の見える見渡しの良い寺の高い所に登りぼんやりしていると、

「ハーイどこから来たの?ネパールは初めて?」

それでも来た!と思ったがもう断るのも相手になるのも疲れていたので、黙ってクマリが顔でも出さないかとぼんやりそちらの方を見ていると、

「あれクマリの家ね。」...視線を下に落とすと、

あの人達チベットから来たお坊さん達。」...うんざりして遠くの方を見ると、

「たくさん荷物を運んでいるあの人達、この辺のお店にあれ運んで行きます。」

う~るせぇ~!こっちは少し静かに景色でも眺めようと思って、わざわざこんな高いところまで登って来てるんだよぉ~!

とにかく無視していると、よけいこれでもか、これでもかと話しかけてくる。「僕達は今ちょっと静かにしていたいのですが。」と言うと5秒間だけ黙り、

「あなた達は日本から来ました。私はネパール人で私の国の事教えます。」

俺達は日本から来てねぇーよ!だんだんいらいらしてくるが、彼に我々の事を説明するのも面倒くさく、ただひたすら「ほかの人のところへ行け、君は時間の無駄使いをしているだけだから。」と言っても、ますます意地になって、「あなた達はフレンドリーではないですねぇ。」などと逆にからんでくる。

全く閉口しているとヨーロッパ人の男性がこちらの方へ登ってきた。彼が「How are you.」と声をかけるとヨーロッパ人の方は「 I’m fine thank you、and you?」と言ってしまった。今まで僕達の横でかなりしつこかった彼は、あっ、という間に新しい相手を見つけ追いかけて行った。

夕食は宿のそばのレストランで、(ここは中級クラスで暖房が入っていた。)僕は焼いた鶏肉の上に、色々な香辛料で煮込んだ野菜のソースをかけたタイチキン、奥さんはタイ風カレー。まあまあ。 

明日からはポカラというヒマラヤが良く見える、ネパール国王の別荘もある静養地で、最近一般にも開放され始めたリゾート地にバスで行く。出発は朝早いのでレストランのまん前にあったベーカリーで何個かパンを買って宿に帰った。