Memoir : 中央アジア旅行記 00~01

No.3 ネパール(ポカラ、ルンビニ)編 12/22/00 - 12/26/00
12/22/00 ヒマラヤの見えるリゾート地ポカラ
名も知らぬ町を通る
ドライブインにて休憩、日差しが強い
6時頃、霧が濃くまだ暗くて寒い街中を、あるだけの服を着てバス停へ向かって歩く。乗っていくのは一般のバスでなくツーリストバスというから、どんなものかと期待していたのだが、ただのぼろぼろの小さいミニバスである。

しかもバスの中は暖房が入っていないので寒く、さっそく新しく買った寝袋を引っ張り出し体に巻きつけた。

朝まだ早いのにバスの周りにはパンその他の食べ物、飲み物の行商人、また乞食達などが集まって来ている。 

霧濃くまだ薄暗いなか、バスは出発した。走り出したらエンジンのおかげで少しは暖かくなると思っていたのに、今度は隙間風が入り込んできてますます寒い。作りが雑なせいか窓と窓の隙間がぴったりと閉じないのだ。どうすることもできないので頭からすっぽりとフードをかぶった。 

バスはやがて街を離れ険しい山道に入っていく。山間の高い所を走っている時は霧が無いが、下の方を見ると、そこは霧で何も見えないので気持ち悪い。道路は一応舗装してあるもののあちこちに穴が開いているらしく、日本やアメリカでは考えられない揺れ方をする。

10時ごろになりやっと少し日が照り始め、霧が晴れてくると、そこには気が遠くなるほどスケールの大きな山岳地帯の景色が拡がっていた。重なり合い果てし無く続く山々、遥か下にはエメラルド色の川が流れ、村のそばには段々畑が広がっていたりする。

バスは蛇行が多くガードレールなど無い山道をかなりのスピードで走り、前を走っている車にけたたましいクラクションを浴びせながら対向車線を追い抜いていく。交通量はけっこう多く排気ガスがものすごい。貧しそうな村が所々に点在している。どこも交通量が多く、道も狭く歩道というものが無いので危なっかしい。村の感じは椰子の木など南方系の植物が生い茂り、映画などで見たことのあるヴェトナムの村を山の中に移したような感じである。

二回ほどドライブインで休み1時過ぎにポカラのツーリスト・バス・ステーションに着く。バスが止まる前から黒いスーツを着た男達が集まってきてバスを取り囲み、外から客達に向かってホテルの名前やら、タクシーはいらないか、などと叫んでいる。

バスを降りると他の客達はみんなあてがあるらしく、それぞれの方向へ行ってしまい、バス停の広場には地図とにらめっこをしている僕達だけがとり残されたのだから、さぁ大変、7~8人の男達にとり囲まれ片言の日本語でいっせいにまくしたてられた。

僕達はカトマンドゥで泊まっていた宿の人に紹介されたユナイトというホテルに行きたいのだが、どちらにあるのかさだかでない。周りでは「そのホテルより好いの知ってます!」「私の車に乗ればすぐ行けます!」「私はもっといい所連れて行ってあげられます!」...あまりにも激しい売り込み合戦に面食らっていると、

「もうほんとにこんなの、うるさいでしょう、ねぇ?!こんなにうるさくされたらめんどくさいですから、僕が全部面倒見ますよ。だから僕について来なさい!」などと変な日本語を使いこなす者までいる。

僕達の行こうとしているホテルはそれほど遠くないはずなので、意地でも自分達の力でたどり着きたい。いっさい無視で、黒だかりの山を引き連れながら歩き出すと、そのバス停の広場が途切れるころ、みんな申し合わせたように離れて行った。

やっと静かにその辺りを見渡すと、雪を戴いたヒマラヤの山々が太陽の光を反射して雄大にそびえ立っていた。ポカポカしてきたのでジャケット、そして重ね着していたズボンを脱いだ。ここはその名も‘ポカラ’である。

向こうからやって来た客引きの青年が彼のホテルへと誘うが、もう僕達はレイクサイトにあるユナイトというホテルに決めてあるからと断ると、そこよりダムサイトにある自分のホテルの眺めの方がずっと良いと言う。しかし客引きには疲れていたので、とりあえずは予定のホテルに行きたいからと断った。 

地図を見てもどうもよく道がわからないので、誰かに尋ねたいのだがその誰かが問題である。もう客引き、ガイド希望者、僕の車で送りますから、というのを相手にする気力は残っていない。どうしようか...と思っていると、ここにしばらく逗留しているような感じのするヨーロッパ人が歩いて来たので尋ねる事にした。彼は丁寧に教えてくれた。

重たい荷物を持ってかなり歩いてやっとユナイトというホテルにたどり着いた。ここの部屋は軽井沢にでもありそうな、とてもしゃれたコテージ風の造りで、日当たりも良く、窓からはヒマラヤ山脈が見える。部屋の造りもしゃれていて今回旅に出てから泊まった中でダントツ一番の清潔さ。泊まる所が清潔だということが、こんなにも精神的にリラックスさせてくれるものなのか、としみじみ思った。シャワーに入ってみるとお湯もふんだんに出る。まるで天国だ! 

まず湖のあるレイクサイトの方へぶらぶらと歩き始めると、ホテルからあまり遠くない所にでかい塀に囲まれた立派な建物があった。ネパール国王の別荘である。今は工事中でたくさんの人々が働いていた。

レイクサイトの辺りは日本にもありそうなリゾートタウンという感じで、レストラン、土産物屋、旅行代理店、などが並んでいる。そのなかでネパール音楽のライブを聴けるレストランがいくつかあり、今夜の夕食のめぼしをつけておいた。

牛にモテる?
それにしてもヒマラヤ・トレッキングでかなり痩せたなぁ...
雄大なるヒマラヤ山脈
このドラマー(右)が最高だった!
食事を楽しみながらのショー見物。料理そのものはイマイチ。
彼らのフォークダンスは本当に素朴で力強いものであった。
少し疲れたのでネパールに来てからよく飲んでいるファンタレモンのビン入りとスナックを買って道の真中にある菩提樹の下で休んでいたら、向こうから牛がやって来てなつかれてしまった。奥さんゲラゲラ笑いながらそれを写真に撮る。別に我々の食べているスナックを欲しがるわけではなく、ただ首を下の方へ下げ、くねくねと僕の方に(横にいる奥さんにではなく)擦り寄ってくるのだ。

自慢じゃないが僕はどういう訳か中年以上のおばさん達にやたらに好感をもたれる...ネパールではどうも牛にももたれてしまったようだ。自慢では無い!まぁとにかくネパールに来てからというもの牛には縁があるようだな...などと思っていると今度はその牛、近くに止めてあったオートバイのハンドルに擦寄り、首をくねくねとやりだした。何の事は無い、首が痒かったのだ。

レイクサイトよりヒマラヤの見晴らしが良い、とガイドブックに書いてあるダムサイトの方へ行ってみることにした。すると向こうから見た事のあるカップルが歩いてくる。向こうもこちらを見て何かささやいているようだ。なんとナガルコットのノリタケの店で会った二人である。そして今泊まっているホテルも僕達のといっしょであった。なんという偶然であろうか。彼らも今ダムサイトの方に行って来て、そちらのホテルに移ろうかと考えているそうだ。 

また後で会いましょうと別れそちらの方へ歩いていくと、町並みはだんだんとまばらになってきたが、しばらく行くとホテルがいくつも集まっている地域に出た。町としては面白みに欠けるが、このあたりは建物がまばらなので、雄大なヒマラヤ山脈の全貌が遮蔽物無しにかなり見渡すことができ、いっぺんにその見晴らしの虜になってしまった。さっそくその中でも見晴らしの良さそうなホテルを探し始め、これは!というホテルに入って行くと、なんとそこは昼僕達に話しかけてきた客引きの青年の勤めるホテルであった。

さきほどのそっけない断り方をわび、部屋を見せてもらう。部屋の中からヒマラヤは見えないが、とてもきれいで良い部屋だった。シャワールームにはバスタブまで付いている。そして屋上やテラスからの眺めが素晴らしい。でも今いるホテルも気に入っているので、今日、明日とそちらに泊まり、明後日このホテルに移って来る事にした。(しかし結局もっと見晴らしの良いスポーツというホテルを知りそちらの方へ移ることになるので、彼には失礼なことを2回もしてしまったことになる。ごめん!)

またレイクサイトの方に戻り昼間めぼしをつけておいたガーデンレストランに入った。ガーデンの一番奥のつきあたりにはステージがあり、その近くに席をとる。ステージの右側の方には湖が夜の暗闇の中にぼんやりと広がり、後ろの地元の小さな山がシルエットになっていて、その頂上にはパゴタがライトアップされ小さく光っていた。ムード満点である。

ここのショーはギミレ氏にカトマンドゥで連れて行ってもらったレストランのと同じような内容だが、こちらはまだみんな若くステージも広いのでとてもダイナミックで荒々しく、それがとても魅力的だった。特にドラマーがとてもワイルドで素晴らしく、思わずこちらもイェー!と叫んでしまうほどだった。また彼は情熱的なダンサーでもあった。

食事、僕は魚の焼いたのを食べたが、焼いただけ、という感じであまり味が無い。奥さんはムサカ(カッセロールのような物)を注文したが全部は食べられなかった。しかしショーには満足した。

8時30分ごろホテルに帰るとバスルームにヤモリがいた。奥さんは気持ち悪がるが、ヤモリは悪い事はしないからだいじょうぶ、となだめる。夜になるとさすがに少し寒くなってきたが、カトマンドゥと比べるとかなりましだ。寝袋に入ってしまうと暑すぎるので、かけるだけにした。

ふ~っ、今まで旅して来た所とは比べ物にならない。ここは天国だ。



12/23/00
9時少し前に起きた。久しぶりに良く眠れた。やはり気候と部屋のせいだろう。

ナガルコットのノリタケの店で知り合い、ここでは偶然にも同じホテルに泊まっている二人とテラスで歓談。彼らは主人が画家で奥さんは陶芸家であり、またジャズ好きで何人かの日本のジャズ・ミュージシャンと友達であるそうだ。今度ぜひニューヨークに行きたいとの事だ。

彼らはダムサイトのホテルの中ではスポーツというホテルからの眺めが一番良いとみんな言っているので、そこに移ろうかと思っているという。

そばの小さな山の上にある日本寺の話。またここポカラに長年住んでいるという、イエズス会の有名な日本の神父の話などをした。そういえばここにいると全然気づかなかったが、なんと明日はもうクリスマスイヴなのだった。我々はキリスト教徒ではないが、ニューヨークでは毎年クリスマスのミサに行っているので、今年はこの神父さんの教会に行こうということになった。

今日はまずその見晴らしの良いという日本寺に行ってみる事にした。まずは腹ごしらえとダムサイトの方にある昨日目を着けておいたフジモモレストランという富士山ののれんがかかった、けったいな名前の日本食堂に入った。4 人用のテーブル2つと2人用のテーブルが1つあるだけの小さな食堂である。僕はカツ丼、奥さん、かき揚げ丼。どうせ出てくるまで1時間はかかるであろうという覚悟を決め、僕は店に置いてある日本の本、雑誌などを持ってきて読み始め、奥さんは店に置いてある旅行者達のメッセージブックを読み始める。しばらくすると奥さん笑い始めた。そこに記されていたその内容とは?なかなか面白いので書いておこう。

ある、おそらくまだ若い青年。インドを旅して、ボラレまくられ、だまされ、疲れきり、もう半分プッツンしかけて、ここネパールの町ポカラについたとさ。インドからネパールに入ると誰もが皆ほっとするという。みんなインド人怖い、悪い、嘘教える、と言う。でもここ、ネパールの人達はみんな善い人、だからほっとするという。この青年もそんな訳でほっとしていたら、今度は、ここポカラで泊まっているホテルでボラれたとさ。やっと安心して人々を信用できそうだと思っていた矢先なのに!青年ついに頭にきて、むこうがそういう事をするのなら...とホテルのシーツをボラれた分として持っていこうとしたところ、口論になったとさ。彼は絶対に悪い事はしていないし、これは彼がボラれた分の正当なる代償である!とくいさがったとな。そしたらむこうは警察を呼んでやる!となり、それでも彼は自分が絶対に正しいと確信しているので、呼ぶなら呼んでみろ!と言うと本当に警察が来たとさ。彼が絶対自分は悪くない!となれない英語で警官にくいさがると、それではとりあえず警察に出頭して来いということになったそうな。適当に謝って穏便に済ませばいいものを正義感の強い彼は、有罪になって強制送還になってもかまわない、出頭して断固戦ってやる!と最後にそのノートに記し、その後の記載は無い。

このメッセージブックを読んで心配している人々もいるとみえ、その後の彼の消息を尋ねる記載もその後にいくつかあった。

というものであった。そしてそのボラれた額というのはドルに換算するとなんと1$にも満たない額なのである。(まぁ勿論金額はこの際彼にとってはあまり関係無いのだろうが。)彼はきっとまだ若く、正義感に溢れている青年で、彼にしてみればそれはあまりにも許しがたい不正なのであろう。

彼はインドでも同じような目に何度も会い疲れきっている。しかし実のところは世の中、善だ、悪だ、などと思っている事はほとんどの場合、自分的常識の価値観の中だけにしか存在していないのだ。親子、兄弟ですら違う場合が多いのだから、ましてや他人と違って当たりまえ。しかもここは日本から遥か遠く離れた異国の地、全く違う価値観が存在している所。それに言葉もどこまで通じているのか分からない、向こうにも向こうの言い分があるのだろう。そこのところがまだ若い彼にはよく分からないのか、非常に小さなことにエネルギーを使って疲れきり、下手をするとそのまま旅を続ける事すら出来ない状態に陥ってしまったのではないのだろうか?

だが!こちらをこれまで旅して来た我々としてはその気持ち、よぉ~くわかります!勿論何でもへー、へーと言われたとおりにしていればいい、という訳ではない。そのへんをそのつどどう対処していけばいいのか?我々毎回試練を受けているような気持ち...

しかしどうなったのかねぇー、それから彼は... などと考えているとカツ丼、かき揚げ丼が出てきた。見た目はほとんど日本のと同じだが、まずい。カツは真っ黒な色をしており、ぱさぱさしていて肉の味無し。お米もパサパサ。タレは甘さも何も無い。要するに味無し。愛想の良い店の主人が出て来て味はどうですか?と訊かれるが返事に困った。こういう嘘はあまりこの店の為にはならないとも思うのだが、日本人の悪い癖、それと話が長くなる可能性もあるので「美味しいです。」と言ってしまった。何と無く自分の無責任さに良心の呵責を感じた。

谷川と色とりどりの洗濯物
行きとは反対の方向から下山
電気も来ていない民家が点在する。 そして牛はいたるところにいる。
菩提樹の見晴台
日本寺のある小山の方へ歩き出すと、小さな谷川の辺に原色の鮮やかな服が干してあり、そばでは女達が洗濯をしていた。それらの風景を上から見下ろせる高さにかかっている橋を渡り、教えられたように登りだすが道を見失ってしまい、何回も幅50センチくらいの獣道みたいなところを行ったり来たりして、もうあきらめかけ戻り始めるとアジア系の少年を連れた白人のカップルがやって来た。彼らは何回かそこに行ったことがあり、よく道を知っているというので安心してついて行くことにした。

下から見た時はそんな遠くにあるとは思えなかったのだが、かなりの距離を歩いた。道は狭く所々に牛(ヤク)のかと思われる大きなフンが落ちている。こんな山の中の狭い道まで入り込んでいったい何をやっているのだろう?それともヒマラヤトレッキングのあいだじゅうよく見かけたように、人に連れられ何かを運んでいるのであろうか?そんなことを思いながら歩いてると急に幅3メートルくらいの道に出た。そしてその辺りの森にはサルがたくさんいて、中には僕達の歩いている道まで出てきて、ようすをうかがっているのもいる。そこからもかなり歩くが、けっこう高い所にそびえているはずの日本寺のパゴタはまだ見えてこない。

やっと頂上かと思ったらそこからさらに尾根伝いに300メートルほど向こうにパゴタが見えている。ちょうどそこも見晴らしが良くて、愛想のいい兄ちゃんが呼び込みをしている外にテーブルを並べ飲み物などを出しているお茶屋があったので、一休みすることにした。

コーラを一本たのむと、二本持ってきた。一本しか頼んでないと文句をつけるとおとなしくそれはひっこめる。とにかくそれを飲みながら眼前に広がるヒマラヤを満喫した。ここも例のごとく、兄ちゃん始めは世間話などをしているだけだったが、そのうち山の写真など持ち出してきて売りつけようとする。辟易してコーラ代を渡し出発しようとするが、今度はおつりを持って来ようとせず、ひたすら話し続ける。おつりを請求すると、今度はチップがほしい、ボールペンは持ってないか?となる。それらを聞き流しながら歩き出した。 いくつかの同じような売店を通り過ぎ、とてもりっぱなパゴタを中心とした公園のような所に出た。そこは白くて、新しくてきれいだった。しかもヘリポートまである。ここは日本の寺だそうだが信者たちがヘリコプターででもやって来るのだろうか?靴を脱ぎパゴタに上り仏像を見るがこれはあんまり良いのは無かった。しかしペワ湖をはさんでここから見るヒマラヤの山々、特にマチャプチャレ、アンナプルナは素晴らしく、しばらくじっと見とれてしまった。 

しかしこの寺の境内にも、色々な事を言って金をもらおうとする奴がいる。ある男、交通事故に遭ってから足がとても悪くなり、松葉づえをつかないと歩けず仕事も出来なくなってしまった、と言っている。しかしそんな足の悪い人がどうやってこのかなり険しい山の頂上まで登って来れたのかが謎である。ヘリコプターででも来たのか?

帰りはチベット村というところによることにしたので、別の道から下り始めた。この村は中国がチベットを侵略した時ネパールに逃げて来た人々が住んでいる村である。こちらの方に降りる道は土や石でできた民家が点在し、牛などもぶらぶらしたりしている。とてもいい形をした菩提樹の木が所々にあり、そこがポカラの町を一望にできる見晴台になっている。そこで一休み。 

チベット村にはまず土産物屋、食堂があり奥の方へ入っていくと住居(ここではヨーロッパからのボランティアの人々であろうか、新しい家を声をかけあいながら作っていた。)そこには寺もあり、横の方には学校もあるらしく、完全なチベット・コミュニティを作っていた。

そこにある食堂に入り、焼きそば、コーヒー、チベタンティーをたのむ。チベタンティーはしょっぱく不思議な味がした。

そこに30歳くらいの日本人がいた。脱サラをしてアジアを周っている最中だそうだ。インドはとてもきつく、ここネパールに入って一休みしているところであるという。これから僕達はインドを3週間かけて周る予定である、と言うと、日本レストランには気をつけろ、どんな料理が出てくるかわからない。インド人に道を訊くな、嘘教える。(“インディアン、ウソつかない!”ではなかったのか?)その他インドのきびしいところ、つらいところなど悪口をさんざん語ったあげく、最後にしみじみと「もう一回行ってみたいなぁ...」と不可解な言葉をもらした。(この意味は僕達もインドを離れてしばらくしてからやっと分かる事になった。)

そして彼はここポカラの日本レストランはほとんど行ったらしく、我々は美味しい店を色々とおしえてもらった。

ゆっくりホテルに向かって歩いて行くと、後ろの方からさっきの彼が自転車で追い越していった。ホテルのそばに近づくとカトマンドゥのいろいろな所で、そしてここポカラでも何回か耳にしたことのある、チベットのお経を音楽に乗せたCDがかかっていた。前回どこかで聞いた時にもう一度耳にしたら記念に買おう、と思っていたので買うことにした。

ホテルに帰りシャワーを浴びる。ほんとうにここのシャワーは快適だ。そして屋上で夕日に染まりゆくヒマラヤを堪能した。もうここに住んでしまいたいほどだ。

そして夜はムーンダンスというスイスあたりにでもありそうな、大きなロッジ風のレストランで大きな火の燃える暖炉の側に席を取り、ピザとスパゲッティーで夕食。ピザはパンの部分が薄くカリッと焼けていて、チーズもとてもさっぱりしていておいしく、一枚追加する事にした。スパゲティの方もスタンダードなトマトソースでグッド!



12/24/00
部屋にいるだけでこの景色
結局あの二日前の客引きの彼には悪い事をしたと思いながら、スポーツというダムサイトにあるホテルに朝移った。道が90度の角度に分かれるところに彼のホテルもあるので彼とそのうち顔を会わす事があるかもしれない、そうしたら謝ろう。(その後やはり会ってしまったので謝ると、「何言ってんですか、そんなの全くお客さんの自由でしょう、あやまる必要なんかありませんよ!」と屈託も無く言ってくれたので一安心。いい奴だ、幸せになれよ!と心の中で祈った。)

その角を左に曲がり、ふと電線を見上げると、こうもりがこうもりらしく逆さまに電線にぶら下がっているらしいのだが何かようすが変だ。よく見るとローストされて黒く焼け爛れている。電線に留まろうとして感電してしまったらしい。その姿は何かとても哀れをさそうものだった。これから我々は毎回そこを通るたびに、それがぶら下がっているのを見ることになるのだ。冥福を祈る。

みんなが推薦するだけあって、さすがにここホテルスポーツからのヒマラヤの見晴らしは絶品!前がかなり大きな空き地なので、我々の部屋の大きく取ってある窓から寝っころがっているだけで、ヒマラヤの山々が何の遮蔽物もなく視界ぎりぎりまで見渡せる。トイレも清潔、シャワーのお湯も問題無く、バスタブまで付いている。ポカラに来てからここ数日、天国の階段を上がってきているようだ。もうここにずっと居たい。

チェックインしてまず近くのジャーマンベーカリーでサンドウィチ、コーヒー、などで朝食。ここの店なかなかおいしい。

この店の飼い犬だと思うが、それぞれのテーブルの前にしばらく静かに座り込み、物欲しそうな、訴えるような目で客を見上げる。しばらくしてその客が何もあげないと次のテーブルに行き同じ事をする。おこぼれが目当てなのだが、その態度がまるで人間の乞食のようでおかしく、結構客の間で受けている。ワン君も生存競争が激しいので色々と手を考えるのであろう...

今日は雄大なるヒマラヤを見ながらのんびりしている事にしたので、午前中は洗濯などして日当たりのいい屋上でそれを干したり、まだ残っている葉書を書いたりすることにした。ここポカラの日差しはとても強いので日焼け止めを塗った。

午後からはレイクサイトの方へ散歩に行き、ボート乗り場でピーナッツを買って、湖を見ながらしばらくボーっとする。そして湖畔を見渡せるアメリカンバーの庭のテーブルで少し休む。今日はインドのバナーラスまでのチケットを手配しようと思っている。(と言ってもいつも手配するのは奥さんで、僕は金魚のフンであるだけなのだが。)

ここはツーリストの町なのでたくさん旅行代理店がある。その中のひとつ‘風の旅行社’という詩的な名前のついた代理店に入った。

そこのネパール人は日本語が達者で、「インドは怖い所、私2回行ったけどネパールに帰って来るとホントにほっとする、インドに行った人みんなそう言ってるよ。特にあなた達がこれから行くバナーラス怖くて、危なくて、汚い所...」などと僕達がそこに行くチケットを買いに来ているのにもかかわらずまくしたてている。行きたく無くなってきた...

「でもそんなところへ何であなたは2回も行ったんですか?」とたずねると少し考えたすえ、「たまには人間地獄見たくなるね。」と、とても哲学的なことをおっしゃった。

しかしここは値段が少し高いように思ったので、よそものぞいてみようということにした。しかし結局どこもガイドブックに書いてある料金よりかなり高く言ってくるので買うのをためらってしまった。

夜は昨日のチベタン村で会った彼が何を食べても美味しい、と言っていた、アニ-ルモモという食堂へ行くことにした。店は靴を脱いで上がる。畳はひいてないが座布団があって、日本風の長テーブルが置いてある。客にはツーリストらしき者はいなくて、ここに結構長く住んでいます、という孤独な雰囲気漂う日本人の独り者がほとんどで、店に置いてあるかなりの数の日本漫画の単行本を妙に熱心に読みふけっている。誰もしゃべる者はいなくかなり重苦しいムードだ...ところで今日はクリスマスイブなんだけど、誰か知ってます?

メニューを見ると全部注文したくなってしまった。何と串カツ、てんぷら、お好み焼き、広島焼き、から揚げ、焼き鳥、カツ丼、親子丼、その他日本にある物全部ある! まだほんの子供みたいなのが注文をとりに来て、こちらの数ある注文をただ聞いているだけでメモもしないので、だいじょうぶか?ときくとうなずく。本当かなぁ?と思っていたらそこの主人がやってきてオーダーの確認をすると七つぐらい頼んだ品が全部ちゃんとあっていたので、この子すごいと思った。顔が似ているので主人の子なのか?と訊くとそうであった。頭の良い子ですねぇー、感心しています、と言うと、はにかみながら主人はうなずいた。

主人は、僕達の注文した品を見ながら、「でもこれ2人では多過ぎて、食べきれないよ。」と言うので少しオーダーをへらしてもらった。良心的なのでまた感心した。こういう事が今の我々にとってはとても貴重な事と思える今日この頃である。

カトマンドゥでギミレ氏に連れて行ってもらったレストランの焼酎がとても美味しかったので、それを思い出し焼酎をたのんでみたが、これはまあ別にたいした事はなかった。日本で飲んだことのあるような味、そして焼酎にしてはアルコール分がかなり少なめなのか水っぽい気がする。

料理はまず、串カツが出てきた。カツは黒く、どういうわけか木の取っ手の付いた90度に角度のある金属製の串に刺さって出てきた。見た目は日本の串カツのイメージとはかなり違うが...うまい!注文した料理全部にうならされた!この‘うならされた’という表現を使ったのには意味がある。それはもしここの料理をそのまま日本で食べたとしたら少し変な感じをもつであろう。というのは食材の違い、また全ての日本の調味料、ソースが揃っているわけではないので、微妙に味が違うのである。しかしこの店はそこであきらめず色々と現地の物でくふうが凝らしてあるのだ。それをこちらに感じさせることができるのである。このポカラでも高級な日本レストランに行けばすべて日本からの取り寄せ物で、もっと日本の味そのものという所はあるであろう。しかしここは安いのである。そんなことはできない。しかし工夫がある!舌と頭で研究を重ねてきました、というここの親父の信念と情熱、それをまた楽しんでいるようなところをこちらに感じさせてくれるのであった。ひざをたたいて、親父よくやった!と言いたくなった。

酔いも手伝い上機嫌で店を出て、そのまま又代理店を探し始めた。ある代理店、外からガラスを通して正直そうなヨーロッパ人が働いているのが見えたので入ってみる。結局値段はガイドブックの記述が少し古いものだったのだろう、どこも大して変わらないので、ここでアレンジしてもらう事にした。チケットそのものは明日とりに行くことになる。 



12/25/00
今日はクリスマス。一昨日画家の夫婦が話していたイエズス会の大木神父の教会へ寄り、サランコットという近くの、やはりヒマラヤの良く見える丘に登ろうという予定。 銀行、郵便局などが並ぶ街、教会を探しながら歩いて行く。この辺りは一般の人々が住んでいる辺りで、小学生くらいから高校生あたりくらいまでの学生が、学校が終わった時間らしくたくさん歩いている。ポカラそのものが国王の御静養地なのと、また最近一般にも開放されリゾート化して来ているせいか街はきれいで、新しい家がいたるところに建設中で活気がある。 なかなか教会は見つからず、いつのまにか見落としてしまったのかとあきらめかけたころ、やっと十字架を見つけた。門を入り奥にある建物に向かう。

白いカソックを着た小柄の大木神父と対面。

「今日はクリスマスなのでミサに来たのですが。」

「もう終わりました。」

ガクッ、

「信者の方ですか?」

「いや違うのですが、僕達ニューヨークに住んでいて、いつもクリスマスは教会のミサに行っているので...」

とにかくまぁお上がりなさい、という事になって、中の事務室で色々とお話をうかがうことになった。神父さんの友達も日本から来ていて、二人の冗談を言い合いながらの何の屈託も、気取りも、難しいお説教も無いけれど心から神様と共に生きて来ている人達なのだなぁ、と感じさせてくれるお話を聞かせてもらった。また二人は本当に素晴らしい大親友同士であるとも思った。二人の話している言葉そのものにある響き自体が全てを物語っている。そして二人共70歳くらいの年齢にもかかわらず、とても生き生きしていて若々しく輝いている。こうやって生きている事が楽しくてしょうがないという感じなのだ。

大木神父はまだネパールがキリスト教徒を受け入れていない時代にやって来て、身体障害者の為の施設を始めたそうだ。これは今もこの建物でその学校を運営している。キリスト教徒だということで石を投げられたり、嫌がらせをされたり...それらの事を面白おかしくまるで他人事のように楽しそうに話してくれた。ネパールの共産党から「殺してやる!」との脅迫電話がきたりしたこともあったという。そしてこちらの政治情勢、社会情勢の事。ここでは共産党が大学生を牛耳っており、とても力を持っている。まぁ貧乏な国だから分かるような気もするが、とにかく荒っぽいらしい。まず権力の象徴である、という事からか警官がねらわれ、殺されるそうだ。そしてその殺された警官の葬式にまで爆弾が投げ込まれた事があったという。 また学校の事。年収が日本円にして五千円位の人が多いなか小学校、中学校の年間費が一万円くらいかかることなど。

帰る前にせっかく来たのだからチャペルへ案内しましょうということになり、2階へ上がらせてもらった。普段は体育館として使われているが、クリスマスという事で礼拝堂のように飾り付けをしているという。ミサは夜行う事にするとそれまで落ち着かないので、いつも朝にやるそうである。そんな訳でミサは終わっていたのだが、僕達にとって今までで一番素晴らしいクリスマスとなった。この御二人の事は僕の人生の中で出会った、最も素晴らしい人々として記憶の中にこれからもずっと残るであろう。光をたくさん頂いた。

そこからオールドバザールという名のごとく古い建物の並ぶ街中を歩く。ここは少し奈良の古い町並みを思い起こさせた。建物はほとんどが2、3階建で古くところどころ傾いている。しかし家の作りは木ではなく他のネパールの町と同じくレンガが主体であった。でも電柱、電線のようすが、やはりとても日本の田舎っぽく懐かしい感じがする。

サランコット山に入る登山口の看板の前には車、オートバイ、ガイド希望者らしき連中が何人も集まっていて、僕達を見つけると口々に「サランコットこっち、こっち!」と叫びだす。そんなことはそこに大きな看板が出ているのだから誰でもわかる!それぞれの売り込みをかわしながら山道、といってもバスも通れる大きな舗装道路に入って行くと左側のほうに急な土がむき出しの狭い道があった。きっとこちらが歩いて登る人のための登山道なのか...

どちらを行こうか迷っていると入り口の連中が、「左です!左、左、左!」と叫び、左を指差しながら、満面に笑みをたたえこっちにやって来そうになる。これでもう選択の余地は無くなった。‘右’に歩き出す!「そっち行くと長く時間かかりますよ~!左、左、左、ひぃーだぁーりぃー、左!」と叫んでいる連中に向って「知っていまぁ~す!でも僕達ゆ~っくり登るのが大好きなんでぇーす。僕達この辺りは慣れてますから、どうもご親切にぃ~!ありがとぉ~!良い一日を~!さようなら~!」とこちらも満面に笑みをたたえて叫び返す。これ新しい作戦であった。

そこはいわゆるよくある山の車道、くねくねと蛇行した道をゆっくり登り始めた。車などほとんど通らない静かな所なのだが、前の方で我々を待っていた?青年が「はい!今バスが来ます、気をつけて!」と僕達に向かって叫んだ。すると本当にバスがやって来た。それをやり過ごすと、「どこから来ました?ネパールは初めて?」が始まった。

今日はさっきからちょっと作戦を変えている。ここでも「我々、何回も来ているのでとても慣れていまぁ~す。だから全然心配要りませぇ~ん、どうぞ良い一日を!ありがとう!」と言うと、

「何年前に来ました?最近この辺り変わったでしょう?どこが変わったと思います?」と矢継ぎ早に質問をされ、もたもた答えに詰まっていると、こちらの嘘がばれてしまったようで気まずい気分になった。やはり嘘は罪...

彼と話している間に何人かのマウンテンバイクに乗ったヨーロッパ人、我々がガイド希望者に捕まって、てこずっているのを同情の目でもって見ながら追い越して行った。そう自転車に乗っていると少なくともこの手のわずらはしさは無いだろう。なるほど...

とにかくやっと彼を振り切ったと思ったら、今度は向こうの方で子供達が我々を待ち構えていた。これは何かのゲームか?「ガイドする、安くていいから!」が始まるがひたすら無視。子供達、いかにも「僕達あどけない子供ちゃん達でぇーす。」という感じでしばらくついて来たが、我々にとってすでに子供は可愛く無邪気な者、という無責任な神話は残念ながらとっくに消え失せている。

それからはもうしばらくこの手のはいなくなったので、ゆっくり山道を楽しみ所々の見晴らしの良い場所で休んだりしながら登って行けた。

舗装道路が無くなった辺りから急に傾斜が強くなり階段が多くなった。今までの道はよくある山に作られた車道という感じで道沿いには何も無かったのだが、そこからはまた小さな町並が始まり、可愛らしい山の小学校があった。そこを過ぎると傾斜はますますはげしくなり狭い階段の道になってきた。しかし両側にはまだ土産物屋、茶屋が並んでいる。それが途切れる頃、頂上がやっと見え出した。そこからはむき出しの山肌の上に石を積んであるだけの急な階段を登ることになった。我々の少し前には5人連れ日本人家族が登っていた。

するとどこからともなく男が現れ、僕の方によって来て、「はーい!どこから来たの?日本人?ネパール始めて?麻薬買わない?麻薬!」

オイオイなんだ、その‘麻薬’というのは?せめてハッパ買わない?とでも言いなさい!急にそんな日本語をこんな所で聞かされたらビックリするでしょう!

勿論無視。しかしその男、我々の数メートル先を歩きながら、我々を振り返りつつ話かけて来る。

「私の家あっちの上の方にあります。」

それがどうしたというのだ!?

「麻薬買わない?麻薬!」

その‘麻薬’という言葉使うのやめろ!この神々しいヒマラヤを仰ぐ見晴らしのいい壮大な大自然の中にその二文字は全くそぐわない。

「私の家あの上の方にあります。」

いったいこいつ何を言いたいのだ?でも要するに日本語はこの二つ三つしか知らないらしく、こればかり満面に笑みをたたえながら、しつこく繰り返しながらついて来る。 

頂上の少し前の小さなスポットでは先ほどの5人連れ家族が休んでいた。男、今度はそちらに行き何とその子供逹に向かって「麻薬買わない?麻薬!」と言い始めた。オイ、コラコラ!典型的幸せ家族の冬休みを利用しての家族旅行に“人間やめますか?それとも...?”というような麻薬はいらないのだ!君はニューヨークへ行け!

お父さん、「何だって?」

「麻薬だって。」と子供逹。

「えぇーっ!?麻薬?ワッハッハッ!」と父。

信頼関係の強い明るい家庭のようである。

頂上に着くとホテルがあった。そこからも神々しいヒマラヤは見えているが、少し雲がかかってきた。そのホテルにあるレストランが外にもテーブルを並べていたので、昼食をそこでとることにした。しかし今日はかなり暖かいのだが、ここは頂上だけあって風も強く日陰は結構寒いので、日の当たっている席に移った。僕はドライカレー、奥さんカレーセット。おいしい。  ヒマラヤ方面はついに雲に隠れてしまったが、反対側の湖の方は少し霞んではいるものの良く見え、低い地元の山々の連なりが遠くまで見渡せた。そしてそこには2、3のハング・グライダーがかなり高いところをのんびりと漂っていた。

先ほどの家族5人連れがホテルのテラスの席、ちょうど僕達の座っている上あたりに席をとった。

「もう四日目よ!信じられない!」と娘。「もう旅も半分過ぎたわねぇ。」と母。「えぇ~っ!?そんなこと言わないでよぉ~。帰りたくなぁ~い。」

娘「ここはみんなのんびりしていていいなぁ~。日本であんなにがつがつ受験勉強して大学行って、そしてそのまま就職して...なんかせせこましくて...ここはいいなぁ、みんなのんびりしていて...貧乏だけど、ここの人達の方が幸せかもね?あ~、こういう生き方の方が私には向いているかもしれないなぁ~。こんな所に少し住んでみたいなぁ~。」

母「あら、あら、お父さん、この子こんな事言ってるわよ。そんなつもりで連れてきたんじゃないのに、大丈夫かしらねぇ?」

父「まぁ若い時に色々な物を見たり、考えたりする機会があるというのは悪い事ではないさ。まぁゆっくり考える事だな。」

このお父さんは若い頃ここに何年か滞在していたみたいで、その頃の思い出話が続いた。彼はいつか家族をここに連れてきたかったようで、それが今かなったのだ。お父さんの昔話に子供達は聞き入っていた。会話のある良い家族だと思った。

こんなところをどうやって降りるの?
帰りは逆の方向、湖をはるか下に望みながら、かなり急な山肌がむき出しの、落ちるなら勝手に落ちろ、というような道無き道を降り始めた。一昨日登った日本寺が遥か彼方の山の頂上に見えているが、頂上といっても今僕達のいる高さから見るとかなり下の方だ。それは我々がかなり降りても、まだずっと下のほうに見えていた。そして我々の道は途中から茂みの中に入って行った。

この山の麓は畑になっていて、その中を牛がのんびりと歩いていた。狭い畑道なので向こうから牛がやって来ると、どうしようかと思うほどなのだが、我々を見つけると10メートルくらい前で横にそれて行ってくれる。そしてじっと我々が通り過ぎるまでこちらを見ている。その牛のしぐさや顔が人間ぽくって妙に親近感を覚えさせる牛もいたりしてとてもおもしろい。 山裾の道は車が通ると前が見えなくなるほどきめ細かく白い雪のような土ぼこり(地元の人々はそれを避けながら我々に向かってネパールのパウダーです、すごいでしょ!と言って笑っていた。)が舞い埃っぽい所だが、景色は小さな山々と湖がうまくブレンドしていてなかなか詩的であった。

昨日の旅行代理店に寄ってチケットを受け取ってホテルへ帰った。シャワーを浴び昨日行っていっぺんにファンになったアニールモモ食堂に行く途中、近くにあった外に机を並べた飲み屋にいた芸術家夫妻に、今日会った大木神父の事などを報告した。明日から僕達はルンビニーというネパールとインド国境近くの仏陀が生まれた村に行くので、お互いのこれからの旅の幸運を祈り、お互いに写真をとった。

アニール モモでは、お好み焼き、玉子丼、焼きナス、味噌汁、言うまでも無くみんな美味しかった。
12/26/00 ブッダ生誕の地 ルンビニへ
何であれ初めて人間が引くリクシャーに乗って感じる事多し。
白い牛は神の使い、赤い服は、うちのカミさん。しかし、なんと品の良い牛なのだろう! 牛の貴族だ
時が存在しないサクレッド・ガーデン
シッタールダ生誕の菩提樹
トロンとなってしまうほどの静けさ
干上がった川の畔に動物の骨
牛か馬、何であれかなり大きな動物の骨だ。
ルンビニでの宿
村の風景
ここはどこ、いつの時代?タイムマシンの旅
昨日のサラン コット山登りで疲れているはずなのに夜中の2時ごろ目が覚めてしまいそれから眠れなかった。まぁバスで寝る事にしよう。

朝5時半にホテルを出ようとするが早すぎてフロントは真っ暗で誰もいなく、ドアは鍵が閉まっていて外に出られない。どこか開けられる所はないかと懐中電灯を点けて探すがみんな閉まっている。オフィスの人はどこにいるのだろうか?僕達の「Excuse me!?」とささやいていた声がだんだん大きくなってきた。と、やっとどこかで「OK!」という声が聞こえ一安心。

まだ真っ暗い道を懐中電灯で照らしながら歩き始めると、もう近くのベーカリーは店を開けていたので、朝食用のパンを買った。

バス乗り場までは思っていたよりかなり遠く、重たいリュックを背負ってできるだけ速く歩いても30分ほどかかった。 今回もツアーバスといっても要するにミニバスで席は狭い。一番後ろの席に振り当てられる。外ではカトマンドゥの時と同じように、ここでも朝早くから色々な食べ物を抱えた行商の人達が集まってきている。奥さんはチョコレートのついているパンが美味しそうなので買ったのだが、チョコレートはかなり混ぜ物で引き伸ばされているのか、かすかにチョコの味がするだけでまずいそうである。

昨日はあまり眠れなかったのでゆっくり寝ようと思ったのだが、バスが走り出すとそれは甘かったと悟った。ここからルンビニーまでの中継点バイラワまでは道が悪いとはきいていたが、下手すると天井に頭をぶつけそうになるほど飛び上がる。首の骨でも折らないかと心配になるほどである。外の景色はとても美しいのだが、あまりに揺れているのでそれどころではない。どこかにつかまっていないと、どこに飛んでいくかわからない。これに8時間揺られる事になるのだ!

3時間くらい走りある村で休憩の為止まった。トイレに歩いて行こうとすると、体がまだそのまま揺れているので、まともに真っ直ぐ歩けない。

 崖っぷちにある建物にトイレがあるというので入った。ちょうどヨーロッパ人の女性が出てきたところなので「ここがトイレ?」ときくと「ええ、そう言っているけど私にはそうは思えなかったわ、少なくとも私には無理ね。」と言っている。とにかくその入り口にある階段を1階下に下りるとベッドが置いてある部屋があった。ここは一般の人の家なのだろうか?よくわからない。トイレはそこを左に曲がり梯子でまた下に降りた外にあった。1メーター50センチくらいの竹でおおざっぱに囲った隙間だらけの小屋、ドアらしき板を開けると中にはグラグラと揺れる木の足台のような物以外は何も無く、その下には遥かに崖が拡がっていて風が吹き上げてくる。それだけで何も無い。要するに崖に向かってするということだ。あの女性の言っていたことを理解した。ただしそこからの景色は最高で、今まで僕の人生の中で入ったトイレのなかで一番の絶景トイレであった。しかもスリル満点。

バスでまたシェイクシェイクされながら数時間、しかしこの揺れでもちゃんと眠っている奴がいる。すっ飛ばされるぐらいの振動でも、うまくそれに合せているのか、ぎじぎじのところで席にしがみついている。きっと彼はローラーコースターに乗っていても熟睡できるタイプであろう。

次の休憩には田舎の大きな民家というような飯屋の前で止まった。ここで昼食をとるということらしい。 テーブルに座るやいなや、まだ何も注文していないのにダルバート(カレー定食)が出てきた。ネパールの食堂はほとんど、どこも注文してから出てくるまで、まず1時間はかかるというのに、ここは注文する前に出てきた。早い!でもこんなもん注文していないので他の人のと間違ったのでは?とも思い、身振り手振りでこれ僕達のではない、と言うと、さっと持って行ってしまった。しかし落ち着いて周りを見渡すと、みんな同じのを食べている。もしかしてここにはこれしかない?そうらしいのでもう一度これを頼むと数十秒で出てきた。ここはいつもこの時間にバスが来るのであろう、すでに作って用意しているようだ。これはとても素朴な味だが美味しかった。しかもとても安かった。日本円にして20円くらい、しかも何でもおかわり自由である。

ここの太ったおばちゃんは、英語は話せないがなかなか人なつっこく、僕のサングラスを取り上げ自分でかけて、似合うかという身振りをする。勿論似合わない。が、なかなか面白い不思議な雰囲気をかもし出していた。

カレーを食べた後に甘い物が食べたくなったので、この食堂の横の方にある店でチョコレートを探すが無い。でもキャンディーがあったので買うが、なんとこのキャンディー、唐辛子味!?からい!甘辛ではなくてただ辛いだけだ。何でこんなもん売ってんだ!誰が食べるんだ?

再び数時間バスに揺られ体中のたがが外れそうになってやっとバイラワ到着。バスから降りてもまだ体はおおきく揺れていて、背骨がお尻に食い込みそうになっていてまっすぐ歩けない。 そこは埃っぽい田舎町。しかしここは今までのネパールとはかなり感じが違う。まず平野である。今までは山ばかりの山岳地帯だったのにここには山が無い。そして今までは東洋っぽい顔つきの人々が多かったのだが、このあたりはインド人、そして中近東系の人々がほとんどだ。インドに近くなってきたのを肌で感じた。

バスを降りると数人のリクシャー達(日本の‘人力車’がそのままの言葉で使われているが正確には自転車を使っての車引きである。)が待っていたがここはみんな静かである。田舎なのであまり観光客ずれしていないのか、こちらを物珍しそうに見ているだけで誰も話しかけてこず、みんな正直そうだった。その中でも最も正直そうな人を選び、ルンビニー行きの地元のバス乗り場までいくらで行ってくれるかときいてみた。おじちゃんしばらく無言で天を仰いだ後、意を決したように「20ルピー」とつぶやいた。ガイドブックによると歩いても行ける距離らしいのだが、安いと思い頼んだ。

田舎とはいうものの結構交通量は多く、大きなバスやトラックが我々の横をかすめながら走って行き、排気ガスを浴びせてゆく。その中を正直そうなおじちゃん、それらの車に負けじと我々2人とその重たい荷物を乗せ一生懸命こいでいく。その後姿に感動し、心の中で「ありがとう!あなたのような正直者の人生はきっと辛い事が多いかもしれない。しかしあなたのような名も無き正直者こそが真の世の宝です!僕は祈ります、だから頑張って下さい!」とつぶやきそのリクシャーの後姿を写真におさめた。  後で調べてみると4倍ほどボラれていた。あの時しばらく天を見つめていたのは、いくらにしよう!?と考えていたのだろう。まぁいいか...最近達観してきたようだ。仏陀生誕の地が近い事でもあるし...

ここでも10人も乗れば満員になるという小さなローカルバス。勿論ぼろぼろ。町を外れるとそこには見渡す限りの田園が広がっていた。ところどころ遠くの方に木が生えていて、その姿がなかなか詩的だ。道路は最初の方は舗装されていたが途中からは土の道になった。しかし先ほどのバスの揺れに比べるとまぁ大した事はない。道の両側には菩提樹の並木がずっと切れ目無く続いていて、だんだん仏陀生誕の地という雰囲気がしてきた。

1時間ぐらい乗ってもう少しで着くという頃、一緒にバスに乗っていた青年が自分のホテルに来ないかと言う。何とゴータマブッダ ロッジという名のホテル。最初我々はどこかのお寺の宿泊施設に行ってみよう、ということにしていたのだが、彼のホテルは安いし、もうこれから重たい荷物を背負って色々と探し歩くには背骨がガタガタなので、そこに泊まることに決めた。

ルンビニー到着。村はほとんどがバラックのような家ばかりで、ほっ掛け屋根があるというだけで壁が無い‘家’?も多い。雨などが降ったときは布でも横にかけるのだろうか。ということは一年中かなり暖かいという事なのだろう。やっとこの地でもう寒さとは縁がなくなるのか、と思って少しホットした。

宿は道からそのままのところが受付になっていて、そこには壁もドアも無い。机とその横にベッドが置いてあるのが道からそのまま見える。その半分部屋?のような所に客室に通じるドアがある。僕たちの通された部屋は明るい水色に塗られていて絵や写真などが飾ってあり、トイレは暗いがこぎれいにしてあった。日本風しゃがみ便器。横にバケツ。そこから自分で水を汲み流す。ホットシャワー無し。停電たまにあり。屋根、壁付き。

荷物を置いて外に出てみる。この地はのんびりとしていて、何かとてもいい感じが漂っていた。のんびりとしているといってもただののんびりとは違うのだ。空気そのものが違う。 真っ白い牛が何頭か列をなして歩いて来た。始めてみる真っ白い牛。これはとても気品があり美しいので本当に神聖さを感じさせた。憂いをおびた目がとても澄んでいる。さすがルンビニ、牛まで違う。 田園風景の中を歩きだすと、そこには見渡す限りの緑が拡がっていた。そして水の干上がった川岸に牛、もしくは馬?らしき全身の骨が横たわっている。時の流れが止まりそうなこの静けさの中に、なぜかそれは何の違和感も無くぽつんと横たわっていた。それを写真に収めていると地元の女達が物目ずらしそうに、そんな僕を見ている。

仏陀生誕の場所がサクレッドガーデンという公園になっている。そこに入ると悠久のなかに時が止まってしまっているような、平和な静けさが漂っていた。人はほとんどいなく深々としている。そして仏陀が生まれたという場所にある大きな菩提樹。アショカ王が建てたという僧院の廃墟がそれを引き立てていた。このまま自分の体がここの空気と同化し消えていってしまいそうだ。

公園の奥の方に行くと何軒か土産物屋があった。お釈迦さまの生誕地なので、もし仏像の良いのがあったら手に入れようと思って探してみるが、ろくなのが無い。体は奇形みたいで性格の凄く悪そうな奴とか、情けない顔、嫉妬に狂っているとしか思えないものやら、まず人相がめちゃくちゃ悪い。人間の顔すらしていないものや、これはどう見ても悪魔である、というような顔をしているものもあった。これらを素朴な造りと見なすか、ただのへたくそと見なすか?とにかく神聖さ、こちらにインスピレーションを与えてくれるような像は一つもなかった。

その公園の奥にあったレストランに入る。かなり大きいレストランだが客は僕達だけ。チキンカツ、ダルバートをたのむ。まあまあであった。

帰りはもう暗くなっていて、足元を懐中電灯で照らしながらでないと歩けない。全く街路灯というものが無く、また今日は曇っているので月も星も無い闇夜。もしこの懐中電灯が切れたら、この広い公園の中に取り残され、どこへ行ったらいいのか分からなくなってしまうので、少し心細さを覚えた。しかし砂利道を歩いていると現地の人達であろう、この闇夜の中を平気で自転車に乗っている。勿論ヘッドライトなど無い。

公園を出て宿の方に向かう道に出ると、それぞれの壁の無い家の中が裸電球で薄暗く照らし出されていた。所々にある飯屋、飲み屋の中に居る人々が物珍しそうにこちらを見ている。勿論我々も物珍しそうにそちらを見ている。軒先のベッドにブランケットを被っただけで寝ている人もいる。牛もいる、犬もいる、猫も、羊も豚も鶏も鼠も虫も...みんな友達だ。

宿に戻るとやはり外に向かって何も無いフロント部屋の(これを部屋とよべるのかは疑問だが。)机の横のベッドで、ここの宿屋の主人もブランケットに包まれ寝ていた。

部屋に戻り寝ようとすると近くからモスレムの祈り、歌、説教がスピーカーを通してガンガンと流れてきた。その独特のメロディー、抑揚がとても神秘的なので大きな音にもかかわらず、かえって眠気を誘った。

夜中の3時ごろであろうか、またこれが始まった時もあまりうるさい感じはせず、いったい僕達は今世界のどこにいるんだろう...まどろみの中で思っているうちにまた眠ってしまった。