Memoir : インド

No.4 スノウリ、ゴーラクプル、バナラシ、ブッダガヤ 編 12/27/00 - 12/31/00
12/27/00 ついにインドへ
マーヤー聖堂
ほんとはもっとそばに行って触りたかったゾウ!
朝7 時ごろ散歩に出かけた。朝のルンビニは静寂の中に霧が濃く立ち込めていて、朝日は見えない。それどころかほんの数メートル先も見えない。しょうがないのでまずは公園の入り口を少し入った所にある小奇麗なロッジのレストランでトースト、卵、ポテトの朝食。特にポテトが美味しかった。そしてこの辺りには銀行が無いので少し手数料を払わなければならなかったが、ここで両替してもらうことにした。

霧が少しずつ溶け始めたミルク色の靄の中、林がシルエットとなっている幽玄の道を通り抜け、昨日も来た異次元空間‘サクレッドガーデン’を今度はじっくりと散策することにした。 この公園の中いたるところに生えている味わい深い菩提樹を眺めていると、何と濃い緑色をしたオームがたくさん枝に止まっているのを見つけた。野生のオームなど見た事が無い、まして飛ぶところなど!それは自分の美しさと自然を謳歌しているように力強く空に羽ばたいていた。小さな籠に閉じ込められ、イライラしたり、オドオドとおびえたりしながら売られている奴らに比べ何と君たちは幸せな事か!

仏陀の生誕像を納めたマーヤー聖堂。それはイスラム教徒によって赤ん坊のシッタールダと母マーヤの顔だけが、きれいにスッパリと切り取られ、ツルンとしたのっぺらぼうである。顔以外はすべて無傷で残っている。それがまたかえって、これ見よがしにそこだけ切り取った人間の悪意そのものを感じさる。それを見ていると本当に嫌な気分になってきた。しかしその横にはその復元像も置かれていた。

最初泊まろうとしていた寺の巡礼宿のドアが開いていたので中を覗いてみた。ただのコンクリートで固められた空間、という感じでベッドも硬い木の台であった。バス、トイレなども付いていそうも無く、あのホテルに泊まる事にして良かったと思った。

ある寺の参道に立派な顔をした托鉢僧が不動の姿勢でお鉢を持って立っていたので少しお布施を渡す。その横で乞食が二人、それぞれの場所にしゃがみこみ、哀れな声をあげてお金をねだっている。でもどうしてもお金はやはり立派な托鉢僧の方に集まってしまうのだろう。後でそこを通るとその僧が乞食達に自分の分け前を与えているのを目にした。

その寺に入ってみた。中は薄暗く雰囲気も、作りそのものも、あまり日本の寺と変わらないのだが、仏像の頭の後ろに後光を表すためにか、クリスマスパーティーの飾りつけにでも使われるような、チカチカと光る色とりどりの豆電球が付けてあった。これではどう見ても、我々日本人の感覚からすると寺というよりパチンコ屋である。

そんな訳で不謹慎にもゲラゲラ笑いながら出てくると、なんと向こうの方に象がふつぅ~にあたりまえの顔をして歩いていた。僕は以前からどうしても象に乗りたいと思っていたので、インドでその予定も組んであるのだが、今乗りたくなってしまった。でもこの象はおそらく荷物を運ぶための象であると思う。あー、今乗りたい!と思うがちゃんとした鞍も着いていないので無理だ。でもおとなしそうなので近くによって観察する。でかいぞぉー!象はそんな僕達には無関心で草を食べている。いつも思うのだが象の目はとても哲学的な表情をしているなぁ~。

菜の花畑
奥さんの右手の肘の辺りが平和の火
地平線の彼方まで広がっている田園風景の中にある一本道を歩く。菜の花畑の可愛らしい黄色が、遥か彼方まで続くグリーンの中にアクセントをつけていた。ここルンビニは仏陀生誕、仏教徒の聖地なので仏陀のモニュメント以外にも世界各国の仏教寺が集まっている。チベット寺、ネパール寺、日本寺、韓国寺、ビルマ寺、中国寺、ヴェトナム寺、スリランカ寺、タイ寺、またドイツ寺、フランス寺、というのまである。一つ一つ中に入っている時間は無かったが、それぞれのお国柄を表すような建築物で遠くから見るだけでも楽しめた。 ‘平和の火’という小さな火が燃えているモニュメントの前で写真をとり、公園をもう一回通って宿に戻った。

チェック アウトしようとすると宿の親父、ここはもっと見る場所がある、もう一泊していけ!とうるさいが、もう全て予定が組んであってそれはできない、と言って開放してもらった。 朝と同じ所、公園に少し入ったところにあるロッジのレストランでモモ(ショウロンポウ)、ビリヤーニ(ドライカレー)の昼食。ここは本当に美味しい。 来た時と同じようなバスでまずバイラワまで戻る。改めて地平線まで拡がるとてものどかな田園風景、そして菩提樹の並木を楽しんだ。

バイラワからは乗合ジープに乗り換えてでネパールとインド国境の町スノウリへと向かう。このジープも少しでも客を詰め込もうと席がとても狭く取ってあり、ハンドルが運転手の胸にほとんどくっ付いてしまうほどである。そして彼の真横にも客が詰め込まれているので、腕を変な角度に折り曲げながらでないと運転できない。もし事故にでも遭えば...考えない事にした。

ここネパールとインドの国境の町スノウリもやはり今までのネパールとは違い、平地で砂っぽく、そして気温も暖かく町の雰囲気も人々もインドみたいである。スノウリは旅行者情報によると悪徳旅行代理店で有名な所らしい。ここでいかがわしいチケットを買わされても、インドに入ってからではなかなか文句をつけにくいからであろう。

ポカラで買ったチケットでは今日ここのブッダホテルというところで一泊して、明日バスでインドのバナーラスに行くことになっているが、このホテルにチェクインしようとしたら、旅行代理店も兼ねているこのホテルのオフィスで、この町のインド側に入った所から出ているローカルバスでゴーラクプルという所まで行って、そこから夜行列車で行けば明日の朝早くにはバナーラスに着けるという情報を得た。我々としてはこのあまり魅力の無い砂っぽい中途半端な国境の町に一日留まるよりは、早くインドに入りたかったので、少し割り増し料金を取られることになるが、今日そのままインドに向かう事にした。

インドに入ると急に物資が豊かになった。 インド最初の買い物はみかん。
バスの時間までまだ数時間あるので近くのホテルの道に面した食堂でコーヒーなどを飲みながら時間をつぶす。

ゴーラクプルに行くバスの停留所はインド側のイミグレーションの近くにあるという。さぁ、いよいよ歩いてインドに入るのだ。まずネパールのイミグレーションで出国手続き。それは国境のゲートの前、左側の平屋がそれであった。無事通過。

ゲートをくぐるとそこはインド。まずインドでの始めての買い物はみかんであった。

そしてインド側のイミグレーションを探すがが見当たらない。入ってすぐの所だと聞いていたのだが。あたりの人に訊くともう通り過ぎたという。え~っ!そんなのあったか?しかも何で呼び止められもしないで通過できるんだ...?

注意しながら少し戻ると、半分外にある長テーブルにむさくるしい男三人が並んで座り、辺りに皮を撒き散らしながらピーナッツを食っている。その横の壁に半分錆びついている看板が掛かっていて、良く見ると‘イミグレーション ’と読み取れた。ピーナッツを食べているところを邪魔してしまったようで機嫌が悪いのか、横柄な態度の係官。でもその中の一人は丁寧な態度だったので彼にパスポートその他書類を見せ、スタンプを押してもらいここも無事通過。

そして近くのバス乗り場へ向かって歩き出す。この町のインド側はネパール側と比べ活気に満ち、混沌としていて品物も豊富だ。あーっ、ついにあの皆が恐れる悪名高きインドに入ったわけなのである。

ここからバナーラスに行く列車の駅のあるゴーラクプルまではローカルバスしかない。これまた悪名高きインドのローカルバス。もう満席なのに次から次へと乗せてゆく。そのぎゅうぎゅう詰度は悪名高い東京のラッシュアワーどころではなく、ドライバーの横まで人がギュウギュウに重なりあって、誰がドライバーなのだかわからない。みんなでハンドルを取り合っているかのようにも見える。またドライバーの真横のフロントガラスに体を押し付けるようにして座っている人々もいる。ぶつかったらそのままガラスを突き破り外に飛び出していってしまうことになるだろうが、誰もそんなことは考えてもいないようだ...

どう見ても座る所がないので次のバスで行こうとするが、大丈夫座れる!と係りの人が我々のためにドライバーの後ろに無理やり席を作る。荷物はバスの屋根に乗っけるからよこせというが、渡したらどうなるかわからないのでひたすら拒む。しかし凄いすし詰め状態なので、あまり大切な物が入っていない僕の方のバックパックだけ預ける事にした。お互いが半分隣の人の膝に座っているようなもので、少しでも開いているスペースにはまだぎゅうぎゅうと人が入ってくる。

僕の隣に腰掛けていたのは中国系の若者で愛想が良く、もう少しこちらに足を伸ばしてもいいですよ、などと言ってくれている。その彼、何気なく外を見ていたと思ったら、急に何か叫び出しバスから飛び出して行こうとするが、あまりものすし詰め状態にそうは簡単に動けず、周りにいる人々がえらい迷惑である。

何が起こったのかと外を見ると、人相の悪い2人の男が係員に腕を捕まれ、引きづられて来て壁に押し付けられていた。その2人に向かって僕の隣の彼は何かを叫び、飛び出して行こうとするのを彼の友達達が必死で押さえ、思い留まらせようとなだめすかしている。何かこの2人組にされたのであろうか?しばらくすると彼も落ち着いてきて友達達と話始めた。こちらもヤレヤレと思っていると、なんとあの2人がバスに乗って来るではないか!しかも我々は入り口近くに座っているのだ。そんな奴らをなんでまたこんな所に乗っけるんだよ!?僕の横の中国系青年とそいつらのにらみ合いが続く。オイ、こんな混んでいるバスの中で殴り合いを始めるなよ!お前ら以外に巻き添えを食って怪我する人が出るぞ!と思っているあいだにバスは発車してしまった。幸いみんな興奮状態が覚めてきたのか、お互い無視し始めた。そしてしばらくすると彼ら、何とポソリ、ポソリと世間話のようなものを始めたではないか...

バスはぎゅうぎゅう詰めでしかもここはエンジンの横なのでかなり暑い。みんな少しづつ体を動かしながら、ダウンジャケットなどを脱いでいる。

夜なので暗くてあまり外は良く見えないが、バスのライトで照らし出される道はここも菩提樹の並木が続いていて、そこをバスはかなりのスピードで走る。自動車、オートバイ、馬車、牛車、人、犬、猫、鶏、その他を蹴散らしながら走って行く。その乱暴な運転ではいつ何をはねても不思議ではないので怖くて外を見ていられない。

2時間ほどして大きな町、ゴーラクプル入った。大小様々な建物、(大きくても3階建てぐらいだが。)店、宿屋、レストラン、屋台などが所狭しとひしめきあっている。どこもかしこもネオンサインや電気でとても明るい。人がたくさん群れ、とても活気のある町。これがインドなのかと思う。

バスを降り、ここからがあの悪名高いインドの本番である!と自分に言い聞かす。町自体もかなりの緊張感をはらんでいる。

まずスノウリの旅行代理店が手配してくれているはずのバナーラスに行く列車のチケットを、こちらにあるホリデイトラベルという代理店に取りに行かなくてはならない。

スノウリで書いてもらった地図を見ていると男が寄って来て、「それはあちらである。」と指をさすが地図とは違う方向のような気がする。“インド人に道をきくな、ウソ教える。”とネパールで何人もの人が言っていた忠告の事を思い出し、それではと、そちらとは逆の方向に歩き出す。その男「そっちじゃない!こっちです!なぜ私の言うこと信じないんですか!」と言っている。どこかに連れて行こうとしているのか?

 また地図とにらめっこをしていると他の人が寄ってきて「こっちです!ついていらっしゃい!」と言う。「自分で探すからいいです。」と断り歩き始めるがなかなか見つからない。きょろきょろしているとまた、こっちですと、教えてくれる人がいる。 みんな言う方向は同じなので、地図とは少し違うがしょうがないので念のためそちらの方にも行ってみることにしたが、やはり見つからない。しかも道はだんだん人通りが少なくなり、さびれてくる。やはりみんなウソを教えているのだ、怖い所だ、それこそこんな寂しい所を歩いていたら何が起るかわからないぞ!引き返そうとするとさっき道を教えてくれたなかの一人が自転車でつけてきたのか、こっち、こっち、とまだ言っている。この嘘つきめ!何が欲しい!頭に来て叫び出そうとした瞬間、彼の指さす先に“ホリデイ トラベル”と書いてある代理店の看板が目に入った。  結局誰一人嘘をついていた者はいなかったのである。しかもこの自転車の人はここの代理店の店主であった!さすがに彼も少し気分を害したのか、あきれ顔でこちらを見ている。我々心より恥じ入り、もっと人間を信じなければいけない!と決心した。

彼について狭い事務所に入る。チケットはまだ届いていないが、1時間ほどしたら届くと言う。今は8時、9時ごろ戻って来るということにして近くに腹ごしらえに行く。街はネパールより何もかも作りが大きく、ここで世界がまた大きく変わった気がした。タイからネパールに着いた時は、それはそれで大きく変わったと思ったものだが、それでもネパールは今思うとまだ東洋であった。でもここは全然違う。

町はとても賑やかで、喧騒に満ちていた。そして道の端にはゴミの山々が連なり、またそれらを焼いているので町にはその臭いが漂っている。

外にテーブルを置いたレストラン(といってもテーブルひとつだけ。)でチキンサンド、ベジタブル テンプラ、飲み物はネパールではファンタをよく飲んでいたのだが、インドではミリンダになった。食べ物はまあまあ。

インドに入った時に買ったみかん、全部食べ終わったので皮をそのままテーブルに置いていこうとしたら、ウェイターがあっちに捨ててくれ、と言うので持って行くがどこにもゴミ箱というものがない。そう、インドではゴミ箱を見かける事はまずないのだ。だから町じゅうゴミだらけ。僕達もしょうがないのでそこいらへんにあるゴミの山の中に、少し良心の呵責を感じながらみかんの皮を捨てた。勿論誰もとがめだてする者はいない。

代理店に9時ごろ戻ると、先ほどの主人の15歳になる息子が店番をしていた。しばらくして親父が戻って来たが、全然チケットの事にはふれず世間話やらなんやらをしゃべっている。結局今から子供にチケットを取りに行って来させるという。親父、列車の発車時刻のことなどをほのめかしながら、要するに一生懸命このチケットの事で色々と手配しているのだから、少し自分にも手数料をよこせ、という事を言いたいようなのである。勿論全ての料金はスノウリで払ってあり、いっさいお金はここではいらない、とそこで確認もしている。子供はすぐにチケットを持って現れたが、親父それをこちらに渡そうとしない。とにかく手数料1人190ルピー(2ドルほど)をよこせという。我々がそんな話は聞いていないので、スノウリの代理店に電話をかけてきいてみる、と言うと電話なら横の店にあるがインドからネパールに国際電話をかけるとちょうど、400ルピーぐらいかかる、だから無駄な事はしないで自分に2人分380ルピーよこせと言う。彼の言葉使いはだんだんと荒っぽくなり、何をしゃべっているのか良く分からなくなってきた。そしてしきりに列車の発車時刻をほのめかし、これを逃すと後が大変だ、などと言う。

彼の魂胆がだんだん見えて来るにしたがってこちらも頭にき始めた。要するにチケットは僕達の来る前にすでに用意されていて、時間稼ぎのため1時間ほど僕達に時間をつぶさせ、発車時間をほのめかしながら、お金を強請るつもりであったのだ。非常に計画的である。こうなってくると、こちらもお金の問題ではなくなってきた。意地でもこいつの世話にはならんと、テーブルの上に置いてあった我々の列車の引換券を取り戻し、「これから直接駅に行ってこの引換券を見せ、今起こったことを全部駅員に話すからな。」と言ってオフィスを飛び出し駅に向かって歩き出すと、親父あせって追いかけて来た。「分かった!分かった!渡す、渡すから!」

これで我々としても親父の取ろうとしていたお金は何の根拠も無く、しかる所に連絡されると困るらしいという事がはっきりとした。

オフィスに戻り引換券を渡すと、なんと親父まずそれを金庫の中に入れて鍵をかけてしまい、さぁ、どうする?と言う顔をして、「列車の時間も迫っている事だし、それに遅れると今日はここに泊まらなければならなくなりますよ。次の列車はいったいいつだったかなぁ?そういえば2、3日無かったかなぁ...」などと言って澄ましている。チケットをよこすと言ったではないか!とどなっても、引換券を取り上げているので挑むような、小馬鹿にしたような目つきでこちらを見ている。ここでもう我々にとってただの列車券、金銭のトラブルということではなくなった。これは人間の生き方、モラル、そしてこれからの日本人観光客の為、人類の為、世界平和の為、地球環境を守る為、え~いっ、めんどくさい!要するに頭に来たのだ!

もういくらチケットをよこせと言ってもらちがあかないので、こちらの気持も座った。

「わかりました。それでは何日でもここに留まり、出る所に出て裁判でも何でもやりましょう。こちらはもう列車の問題でも、お金の問題でもなくなりました。今からとりあえずホテルを探しそこに落ち着き、駅のツーリストポリスの所に行きます。バナーラスまでのチケットはあんたの世話にならなくても、全部ここで起こった事を説明して、自分達で手配する!」と言って、外に飛び出すと、親父今度もすぐに飛び出して来た。「分かった!分かった!渡す、渡す!...」

無視してどんどん歩いて行くが親父ついて来る。

「本当か?すぐ渡すか?!今度こそすぐ渡さないとそのままポリスの所に行くぞ!もうこっちはそっちがその気ならとことん、やるところまでやるつもりなんだからな!」相手の態度が懇願調になってきたのでもう一度だけ事務所に戻ることにした。

さすがに今回はチケットをすぐ渡したが、今度は「普通日本人は良い人達が多いし、またトラブルが嫌いなので、こういう場合みんな払っていくんですがねぇ~。あなた達はほんとにトラブルの好きなひどい日本人ですねぇ!」などと憎まれ口を言い出し、今度は自分の子供が色々と手伝ってくれたのだから彼に30ルピー、チップをあげてくれ、ときた。なかなかしぶとい。

  子供は先ほどからずっと我々のやり取りを見ていて、半べそ状態になっている。彼も大変な親の元に生まれたわけだ。こうやって親父の商売のやり方を覚えていくのか?子供に10ルピーあげると、彼も親父のてまえ、泣きそうな顔をしながらも、30ルピーだと言う。だいたいチップというものはこちらの感謝の気持を相手にあげるものなのだが、それを言ってもここでは通用しなさそうである。

こういう事をしてまでお金を貰ってハッピーか?と子供にきくと、泣きべそをかきながら「ハッピーだ...」と言う。さすがの親父も「おい、あんまり子供にはそういう事を言わないでくれよ。」とバツが悪そうな顔をして頼むので、もうこちらもあきらめ30ルピー渡した。

しかしこの子はここでこういう商売のやり方を覚えていったいどうなるのだろうと、先が思いやられる。今や色々な旅行関係の本で名指しでこのような所が指摘されている。またインターネット、旅行者達のメッセージブックなどでもそうである。結局自分達の首を自分で絞めることになるのに...ゴーラクプルの‘ホリデイ トラベル’わかっているのか!?

やっとチケットを取り上げ今度こそと駅の方に歩き出すと、奥さん事務所に寝袋を忘れてきたことに気づき、気まずい思いをしながら取りに行く。そして本当に今度こそ駅へと歩きだそうとすると、大男が寄って来て代理店の者だが駅まで案内するからちょっとチケット見せろ、とそれを取り上げようとする。まだやるか?!と思い「もう自分達で行けるから大丈夫!」と叫び、今度こそ本当に本当に駅に向かって歩き出す。発車の時刻もかなり迫っているので重たい荷物を持ちながら小走りになった。

 駅は何十年も前の上野駅が崩れかけたような所でかなり大きい。チケットにはホームのナンバーが書いてあるが、肝心のホームそのものにナンバーが記されていないので、どこが何番ホームなのか判らない。辺りにいる人々にバナーラス、バナーラスとききまくリやっとホームを探し当てた。

今度は車両そのものに番号が印されていないのでどれが何号車なのだか判らない。めぼしい車両に行って中に乗っている人にチケットを見せこの車両でいいのかときく。

やっと探し当てその車両に乗り込むと、ほっとしている間もなく動き始めた。インドの列車は非常に遅れるときいていたのだが、とりあえず今回はぴったり定刻通りであった。

席につきやっとリラックスしていると男がチケットを見せろと言う。もしやここまで旅行代理店の密使が追いかけて来たのでは?!と思いきや、車掌であった。車掌といっても全くの私服なので誰だかわからない。しかしあの代理店の親父、果たして本物のチケットをよこしたのかと、いちまつの懸念もあったがそこまでワルではなかったらしく何も問題は無く、これで本当に安心した。

我々の乗ったのは2等寝台車で、薄汚れた車両に2段ずつ狭い寝台がある。カーテンも何も仕切る物は無く寒い。しかも我々の席は車両の連結しているトイレの一番近くなのでとても汚く、臭く、うるさい。

向こうの方からゴミの固まりのような異様な生き物が這ってくる?ゴミの山のなかから蛇のようなのがのたくっている。よく見るとそれは人間の手、それに短いホウキをにぎりしめ、まったくのうつ伏せ状態で掃除をしているのだ。床はみんな何でも捨てるらしくとても汚い。それをうつ伏せで胸を床に擦り付けながら掃除しているので、頭も顔も首も胸もゴミが絡み付き真っ黒である。しかしそれにしても姿がとても不自然で、手だけを使って前に進んで来るようなのである。良く見ると、足が変な風によじれていた。いざりというもの、生まれて初めて見た。足があぐらをかいたように絡み合っていて真っ直ぐにならないのである。まだ少年のようである。その彼のゴミが体中に絡みつき、汚れて真っ黒なその姿は地獄絵図さながらのものであった。それがだんだんとこちらにホウキで掃きながら、ゴミの山と共に這いよって来る。

近くで見ると顔は汚れてはいるものの全く普通の少年なのだ。目が澄んで輝いていて、別に知恵遅れでもなさそうである。それがかえって哀れを誘うが、他の人達は当たり前で平気な顔をしている。

たくさん集めて来たゴミはそのままトイレの横に腹ばいのままかき上げそれで終わり。列車の中にもゴミ箱は無いので、僕達の席から3メートル位のところにゴミの山が出現したわけである。それが終わると彼はとても哀れな声を出して客一人一人の所に腹ばいで這い周りながらお金をねだり始めた。これには僕としても拒否できなかったので数ルピー渡した。 しばらくすると車掌がやって来てこの少年と話し出した。少年は真っ黒な手で小銭を数え、それをその車掌に渡し、かわりにお札をもらっている。もしかしたら車掌に中間搾取されているのでは、とも思ったが2人はけっこう仲良さそうに話しているので、これもここインドでの共存の仕方なのだろうと思った。

しかしそのトイレ、入り口はごみの山、中は...あ~、これがインド、こういう所をこれから3週間も旅するのか。。。

列車の中は寒いので寝袋に包まり、バックパックを枕にして、スニーカーを盗まれないように体の横のフックに結び付け、この調子では車内放送など在るはずも無いと思い目覚まし時計を3時半にセットして寝る体勢に入った。

しかし今日は何と長く色々な事が有った1日であろうか?今日の朝はまだ静寂の立ち込める仏陀生誕の地ルンビニにいたという事が信じられない。インドに入った途端の立て続けのショックで今だに呆然としている。天国から地獄にいっきに突き落されたようなものだ。しかも明日は朝4時にあの悪名高きバナーラスに着くので興奮していてなかなか眠れそうにないと思っていたが、さすが疲れていたのか、緊張しながらも意識が遠のくように眠りに入った。



12/28/00
朝4時少し過ぎ、みごとたったの数分遅れでバナーラス到着。まだ真っ暗いなかホームに降り立つと、そこは灰色一色、全ての色が失われている世界が目の前に出現した。いたるところに頭から足の先まですっぽりと毛布に包まって寝ている人々、まるで無責任な葬儀屋が死体をそこら辺り一面に置き去りにして、どこかに行ってしまった、と思わせる薄気味悪さと無頓着さが同居している雰囲気が漂っていた。勿論死体ではない。おそらくは遅れている列車を待っている人々、早く着きすぎたので明るくなるまで待っている人々、そして残りは乞食達なのであろう。薄暗い照明のせいか、人々の身に着けている物のせいか、あたかもここには色が存在していないかのように、みんなくすんだ灰色の中に埋没してしまっている。そしてそれらの人々で足の踏み場もないようなホームを牛があても無くさ迷っている。 バナーラスは怖い所というのを聞かされているので、僕達も明るくなるまでここで待つことにして、待合室は無いかと探す。かなりでかいのがあったがここも人、人、人、でいっぱい。剥き出しのコンクリートに新聞紙を広げ、毛布に頭から足まですっぽりの人々はここにもたくさんいて、時おり牛に踏みつけられた人がびっくりして叫び声をあげる。そしてそれを見て笑っている人達。

我々はやっとトイレの近くに、空いている椅子を見つけ腰を下ろすが、その悪臭からして絶対にそのトイレには入らないほうがいいと確信した。しかし人々は平気でその中に入っていき、これからガンガーで沐浴でもするのだろう、水着に着替えて出てくる人もかなりいる。

ここはまるで白黒映画で見た戦後まもなくの上野駅にでもタイムトリップしてしまったような気持にさせる。しかし周りにはインド人しか居なくみんな物珍しそうな顔をしてこちらを見ている。ちらちら見る、というのではなく、こちらと視線が合ってもそのまま視線を反らすことなくこちらをじろじろ見つめるのである。これを日本でやったならかなり失礼な奴だと思われ、ニューヨークでやったなら撃ち殺される、というほどなめまわすように上から下まで見るのだ。その視線を浴びているだけで体中が凝ってくる。

ふと遠くの方に白人のバックパッカー2人が目に入った。別に他のところで見たならば、何とも思わないであろうよく見かけるタイプだ。しかしこの地で見る白人は何かとても文明のにおいがして、遠くから見ているだけで何か安心感のようなものを与えてくれた。そうここもまだ地球なのだ、彼らもこんな所まで旅行しに来ているではないか。。。

6時半ごろやっと十分明るくなってきたので勇気を奮い起こし、前線に突撃する兵士並みの気合を込めて駅の外に出た。

駅の出口、こちらの方を飢えた獣のように見つめていたリクシャーワーラー(自転車引き。)オート リクシャー ワーラー(オート三輪の運転手。)達20人ほどが、こちらを見つけむっくりと体を起こし押し寄せて来た。

以前ネパール、カトマンドゥーの空港でこのように囲まれた時は、初めての経験でもあり、ほぼパニック状態のところを奥さんの知り合い、旅行代理店のギミレ氏に助け出されたのであった。今回は誰も助けに現れるような人はいなかったが、もうかなり旅慣れてきている僕達は、冷静に彼らが言っている値段を聞き分ける。

そのなかで最初のほうに声をかけてきた、一番しっかりしていそうなリクシャーワーラーと交渉を始めた。いくらふっかけてくるのか、絶対負けないぞ!ゴードウリヤーまで(3キロほど)2人でいくらか?とたずねると20ルピーという。なんだ思っていたより安い!?

朝靄がとても厚く垂れ込め、まだ人通りもまばらで半分寝ている街をリクシャーは自転車に付いている涼しげなベルの音を響かせ走って行く。やはりここもゴーラクプルと同じように道端でゴミを燃やしているので、朝だというのにその臭いがたちこめている。

ガンジス川のガート(岸辺から階段になって河水に没している堤のことで、沐浴したり、ヒンドゥー教徒の火葬場になっていたりする。)の付近は途中から道が迷路のように狭くなり、リクシャーでは入れないのでゴードウリヤーの交差点手前で下りた。あまりにも安い値段を言ってくるリクシャーにはかえって気をつけろ!とガイドブックに書いてあったので下りる時いったい何を言い出すか?と思いながら20ルピーを渡す。何も言わない?!正直者だったようだ。

ゴードウリヤーの交差点の前辺りから、さすがに聖なるガンガー(ガンジス河)に朝から沐浴する人々なのか、かなり込み合ってきている。ここバナーラスの事ではさんざん色々な人からおどかされているので、今日はまずは日本人の経営する宿、久美子ハウス(ガイドブックには賛否両論と載っていたのだが...) という所に泊まることに決めている。

ポカラで会った青年がガンガー沿いにたくさんのゲストハウス(久美子ハウスも含めて)が並んでいるが、その辺りは細い道が迷路状に入り組んでいるので、宿を見つけるのならガート沿いに歩きながら探した方が見つけやすい、と教えてくれていたので、まずはガンガーに向かって歩く。やはりここでもオキマリの客引きが寄って来て、奥さんの方に話しかける。今までのネパールでは、まず客引きなどは僕の方に声をかけてきたのだが、ここインドに入ってからはほとんどの場合奥さんに声をかける。これもお国柄の違いなのか。

奥さん今日は久美子ハウスに決めているからと、断ると何か奥さんの横でボソボソ言っているが、僕には聞きとれない。奥さんは苦笑いをしている。そいつが離れて行った後、奥さんにあいつはいったい何をつぶやいていたのかと聞くと、彼のホテルを断って久美子ハウスの名を告げると、「久美子ハウス、おまんこハウス!久美子ハウス、おまんこハウス!」という日本語をずっと連発していたという。絶句!!!

人が集まり何か野次ったりしている。おそらくリクシャーの駐車の仕方について揉めているのであろう。御者が口答えでもしたのか、警官にベルトで殴られていた。しかし御者は意外と平気でまだ何か言い返し、また殴られそうになっている。警官、我々外国人に見られるとまずいとでも思ったのかベルトを振り上げるのはやめ、彼に向かって怒鳴るだけになった。しかしよく見ていると今度は蹴りを入れている。それでも御者は結構がんばっていた。かなりアグレッシブな所らしい。

手足が無かったり、膿んでいる傷に蝿がたかっていたりする乞食達が哀れな声を出して横たわっている階段を、ダシャーシュワメードガートの方に下りて行くが霧が濃くて目の前4、5メートル先までしか見えず、せっかくのガンジス河も霧に包まれ全く見えない。けれどもそこにとても巨大な河が茫洋と流れているという気配は強く感じられる。それにしてもここは又何とも摩訶不思議で神秘的な雰囲気が漂っている所だ。今まで旅をして来てどこにもこのような所は無かった。やはりこれはガンガーの持っている‘何か’を感じているのかなぁ~。 左手にガンジスを感じ、右手に久美子ハウスを探しながら階段のやたら多いガート沿いを歩く。人々はもうすでにこの霧の立ち込める肌寒いなか、沐浴をしているようで、ときおり霧の中からしずくを滴らせて歩いている人が見える。

右側の方には石でできた城壁のような古い建築物が、こちらに覆い被さるように威圧的に並んでいる。みんな立派でお城のようにも見えるが、それらの多くは安宿になっているのだ。そのなかの1つに‘宿’ ‘久美子の家’という日本語が書いてあるのが目に入った。

ガートに面した階段を登り右側に鉄格子のはまった入り口のドアがあった。開いていたのでそのまま中に入り、インドの聖者のような姿をした男の人(久美子さんの旦那さんであった。)に部屋を見せてもらうよう頼む。「暖かい部屋いい?見晴らしのいい部屋いい?どっちも値段いっしょ!」この人やけに日本語のリズムが良い。この人に日本語でラップをやらせたら面白い、などと思いながらついて行く。

まず見晴らしの良いといっている部屋を見る。確かに遮蔽物も無く見晴らしは良さそうだが部屋は日が当たらず暗い。もう寒いのは嫌なので、暖かい部屋というのを見せてもらう。暖かいといっても別に暖房器具があるわけではなく、日当たりが少しいいだけなのだ。でもこの部屋も別に見晴らしが悪いわけでもなさそうだ。今は霧で見えないが目の前がガンジス河なのである。ここに決めた。2人で130ルピー($3ほど)シャワー、トイレ共同、ホットシャワー無し。しかしお湯を浴びたかったら20分ほど前に言ってくれれば、バケツに一杯分沸かすとのことである。

チェックインしようとしたが、旦那さん「久美子さん今忙しい。後でいい。」と言うのでそのまま部屋に入り、疲れているので少し寝る事にした。 

少し寝て9時ごろ起きた。下で女性の従業員同士であろうか大きな声で口論している。現地語なので何の事でもめているのかは判らないがかなり激しい。

窓から外を見るとまだ霧で霞んではいるもののガンガーが見えてきている!でもまだ対岸は見えないのでどれだけ大きいかは判らない。そして雲に覆われた空の一点に太陽の輪郭がおぼろに見えてきた。

荷物を整理する。この建物も遺跡のようにかなり古そうでお城のようにしっかりとした頑丈な石作りである。安宿なので狭い部屋をたくさん作ってあるが壁などは立派な石、天井も高い。床も大きな一枚石なのかとても重量感がある。

10時ごろやっと対岸が見えた。ガンガーは湖のように静かで、その上約30度に太陽が昇っている。薄靄の漂うなか、小さな船がたくさんシルエットとなって浮かんでいた。

まだ肌寒い外を、宿の前からいたるところに延びている、ゴミと牛の糞が足の踏み場もないほどばらまかれている迷路状の道を、少しでも空いている場所を見つけながら歩き、ガイドブックにも載っているババレストランという食堂を見つけて入ってみた。ネパールのポカラで、インドで日本食を注文するな、何が出てくるかわからない!と何度も言われていたが、何でも自分達で体験しなくては気がすまない我々、さっそく味噌という文字にひかれ味噌ラーメン、と味噌炒め、というのを注文してみた。

まずは味噌ラーメン、カレーなどを入れるアルミの少し厚めの皿に、一本が1センチぐらいの長さのインスタントラーメンをゆですぎたようなものを中心に、野菜が少し、スープは麺と野菜にすわれてしまってほとんどない。味は一応味噌の味はするがカレーの味もする。そしてどういう訳か少し酸っぱい。もしこれが味噌ラーメンと注文したのでなければ、スピルバーグほどの想像力を駆使したとしても味噌ラーメンにはたどりつかないであろう。味噌ラーメンが食える!?とたとえ一瞬でも思った事を悔やんだ。そのおかげで、かえってどうしても本当の味噌ラーメンが食べたくなってしまったではないか、結構期待していたのだ... さて味噌炒め。ソーメンのような白い麺を、さきほどのラーメンと同じような少し

酸っぱいカレー味噌?で炒めただけ、具も何も入って無い。はぁ、確かに味噌で炒めてある。しかし日本ではふつう味噌炒めとはまず野菜を... 

2人とも心を‘いため’て店を出た。

あまりに汚い所はカメラを向ける 気にもならない。 この通りはこれでもきれいな方だ。
ガンガーはインド人の生活、信仰の全て
飼い牛?見詰め合う2人。あ~、なんってインドっぽい風景!
ここには写っていないがいたるところに野良犬、野良牛が徘徊している。 右に写っているのはリクシャーワーラー、この写真を撮った後、勧誘が始まった。我々はひたすら無視。
迷路は、石板がひかれた幅2、3メートルくらいの道で両側には2、3階建ての建物、店(ほとんどが大きくても四畳半ぐらいの広さ。)がぎっしりと並び、入り組んでどこまで続いているのかわからない。メイン通りから外れたらどうなることか?しかしこんな狭い道にも牛、犬は入って来る。自転車、オートバイは通る。ゴミはいたるところに山となっていて、牛の糞が当たり一面に散らばっている。誰か掃除しろ!と叫び出したくなる。

ガートに出てみると、空は晴れ上がりガンガーの対岸も良く見えた。人々が沐浴しているのを眺めながら散歩する。歩いているとボートに乗らないか?按摩はいらないか?などと話しかけてくる者もいるが、噂に聞いていたほどはしつこく無いので少し安心。

また子供達はガートのあまり広いとはいえない広場でクリケットという野球の変形なようなスポーツを熱心にやっている。これはこのインドでは最も人気のあるスポーツなのか、テレビでも大きな野球場とフットボールスタジアムの中間のようなクリケット スタジアムからの中継をやっていた。

自分の飼い牛なのであろう、その牛とずっと見詰め合いながら一緒に沐浴している人がいたので写真に収める。牛はまるで犬が飼い主をじっと見つめるような感じだった。その牛と人間の姿に何ともインドを感じてしまった瞬間であった。

そのまま有名な火葬場、マニカルニカーガートの方へ歩いて行く途中、人々が木の上を見上げて何か言っている。フクロウが木の枝に引っかかって宙吊り状態になっているのだ。近くの僧院の窓から竹ざおを伸ばしフクロウを助けようとしている人がいるのだが、ここら辺りの子供達が揚げている凧の切れた糸がフクロウの足と枝に絡み付いていてなかなか離れない。しばらく見ていたがどうにもなりそうもない。かなり弱ってきているようだ。

ネパールの火葬場では写真をとってもよかったのだが、ここではだめ。久美子ハウスに貼ってあった注意事項には、トラブルに巻き込まれたく無かったら近づくな、とまで書いてあったので少し離れた所から見るだけにした。いくつかの遺体が燃えている火葬場はネパールで見た火葬場よりいくらか大きいが、根本的には同じような作りである。しかし2度目とあってか、ネパールで始めて見た時ほどの衝撃は感じない。

先ほどの木のあたりに戻ってくるとフクロウは枝にはいなくなっていて、みんな河の方を見ている。枝からはとき離たれたものの、弱っていたのでそのまま河に落ちてしまったらしく、一人の少年が河の中からフクロウを拾い上げ僧院の中に入っていった。助かるといい。

その後、迷路の向こう側にある街に出てみることにした。中心にある広場では地べたにしゃがみこんだ行商の人々が、野菜をはじめいろんな食べ物を外に並べて売っている。そしてこの辺りにもいたるところに牛は歩いていて、注意していないとぶつかりそうになる。 牛はそれらの野菜を食べようとする。すると、そこの主人から大きな声で怒鳴られたり、水をかけられたり、なかにはスリコギのような木の棒で眉間の辺りを殴られている牛もいた。ゴツンと大きな音がする。牛は神聖ではなかったのか?!

野良牛の他にもここは野良犬がとてもいっぱいいる。毛並みのそろっている奴などはまずいなく、人間に怯えていて、そのほとんどがやせ細り病んでいて、体中を掻きまくっている。子犬のうちからもう毛が抜け落ちたりしていてとても惨めだ。インドの犬達はみんな、‘生まれてきてすいません’という太宰治系の悲しそうななげやりな態度をしていて、目はいつも人を下から卑屈にうかがっている。ニューヨークにいる時は都会の犬はほとんどが矯正されていて、狭い部屋のなかで飼われ可哀想だと思っていたが、はっきり言ってここの犬は悲惨の真っ只中にただ苦しむ為だけに生まれて来たようなものである。それでも矯正されていないので性欲だけは盛んで、いたるところで性交していて、それを人が見て怒鳴り、びっくりした犬は性器どうしが離れなくなってしまって、キャンキャンと2匹で叫びまくってくるくる苦しそうにもがいているのを見かけることもあった。とにかくここの犬達を見ているとそれだけで気分が滅入ってくる。犬にもカルマというのはあるのだろうか?と考えてしまった。

奥さんはサリーの生地などを探す。色々な店の中を覗いていると、例のごとく勝手に案内を始めついて来る奴がいる。しばらく無視しているがなかなか諦めない。しかし色々と店を知っているようなので、ついて行っていくつか買い物を手伝ってもらう事にした。

まぁ、日本人は良い客なのであろう、行く店々でとても熱心な扱いを受ける。まず我々が店の中に入り、こちらが日本人であるというのを店の人が認めると、入り口のドアを閉めてしまい我々の貸切り状態にしてしまうか、二階にもっと良いのがあるから、といって連れて行かれる。そして3人がかりぐらいで、ビニール袋の中にきちんと折畳まれている布や生地を取り出し、これはどうですか?これはお似合いですよ!などと言いながら我々の目の前に広げていく。「ちょっとその色を見たいだけなので広げなくてもいいです。」と言っても全部引っ張り出し我々の目の前に広げてしまう。そう、これはこうやって目の前に布や生地を広げた山を作ってしまい、そこまでさせたのだから買わざるを得ない、という心理にしてしまう作戦なのだろうと気付いた。それなら勝手にどうぞ!と旅慣れ、買い物慣れしてきている我々は落ち着いたものであった。この店はあまり気に入ったのが無さそうなので、目の前に積み上げられてしまった生地の山をしり目に、「気に入ったのが無い!」と腰を上げると、むこうはビックリしたようで、慌ててもっとたくさんこれでもか、これでもかと、生地を引っ張り出しどんどんと広げはじめた。

そんな彼らを無視して外に出てしばらくすると、奥さんガイドブックを店に忘れてきたのに気づき、堂々と店まで取りに行って来た。奥さんの見てきたところによると、店の中にはまだ広げられたままの生地の山の中で、彼女が忘れ物を取りに来た事にも気づかず、それらを呆然と見つめながら放心状態でいる彼らがいたという。お気の毒だが買うのはこちら、そんな作戦にはもう乗らないの!

このようにしていくつかの店をのぞき、幾つかの生地の山を作らせながら奥さんは気に入ったのをいくつか手に入れた。我々の感覚からするととても安いのだが、いったい幾らくらいぼられているのだろう?まだ見当がつかない。

ガンガーの畔ではプージャの用意が始まっていた。
可憐なる花売り少女と思いきや。。。
この2人の少女が客を取り合って喧嘩になる。
帰りはもう一度ガートに出てガンガーを見ながら歩いていると、ステージの上で楽器の用意をしている人々がいた。始まるまでまだ2時間ほどもあるというので、一度宿に帰りお湯を沸かしてもらい共同のトイレ、バスルームで浴びる。久美子さんを見つけたので「チェックインしたいのですが...」と話しかけるが無反応。機嫌が悪いのか死ぬほど忙しいのか?

ガートの元の場所に戻ると人々が集まり出していた。数ある屋台の前にはそれぞれ椅子が並べられ、そこの客はそれに座って見られるようになっている。

結局それはコンサートではなくプージャという日没時に行われる礼拝であった。ガンガーに向かって数人の男達がそれぞれ両手にたいまつを持ち、音楽に合わせそれを掲げたり下ろしたりしながらガンガーに向かってお祈りを捧げるのだ。河には直径10センチほどのろうそくの火をつけた、小さな花の船がたくさん浮かんでいて、ゆっくりと流れて行く。その花の船を可憐な少女2人が、けなげにも売り歩いていたので買ってあげようと思って、声をかけると2人から可憐な少女の面影は消えうせ、客を取り合い争う2人の夜叉が出現した。しょうがないので僕と奥さんとでそれぞれの子から1つずつ買おうとするが、それでもまだ、「あたしが先に見つけた客よ!」と言い争ってでもいるのか、なかなか埒があかない。やっとなだめすかして1人から1つずつ買った。あぁー、生活きびしぃ~んだろうね?!

宿に帰って今回で三度目、チェックイン手続きをしようとするが久美子さんに話しかけても無言。インド人の主人みかねて「久美子さん、今忙しい、チャックイン別に気にしなくていい。自分達でチェックアウトする時泊まった分払っていけばいい。」とのこと。ガイドブックに書いてあった‘賛否両論はあるが’という意味とはこの事だったのか?まぁ、でも向こうがそう言うのだからいいのだろう。

夕食は久美子ハウスの最上階にあるドミトリーで(頑丈そうな作りの大きな部屋にはベッドが5、6台ほど並べてあり、男、女とで部屋は分かれていない。)若者達、そして旅をしている間に歳を取ってしまいました、というような元若者だった人達と一緒に旅の話、また情報を交換し合いながら食べた。芋の煮っ転がし、小魚の煮干、他、おふくろの味系でとても美味しかった。そして壁にはここで行方不明になった日本人数人の情報を求めるビラが、写真入で貼ってあった。その ‘インド、バナーラスで消息を絶つ’の文字がとても生々しく目に飛び込んできた。

この久美子ハウスでは日暮れ以降は危険なため外出禁止ということになっている。しかし色々と面白そうなことは夜にありそうなのでみんな勝手に出歩いてはいるようだ。でも我々は疲れていたのでもう外に出る気力も無く8時ごろ寝る事にした。奥さん風邪でもひいたのか喉が痛いという。そういえば僕も痛い。2人で風邪薬を飲んだ。特に奥さんの方は咳が止まらなく、夜中に起きてしまった。



12/29/00
7時半ごろ起き近くのレストランで、僕はメニューに‘お好み焼き’というのがあったので、もう一回日本食を試してみる事にした。お好み焼きならそう変わりようも無いだろう。奥さんの方は無難にトースト、ポテト、卵などの朝食セット。

ここバナーラスは日本人観光客も多いのか、いくつかの店の壁におそらく日本人の旅行者にでも書かせたのであろう、日本料理のお品書きが、あたかも日本の料理屋で目にするような字体で書かれているのをよく目にした。また‘この店はおふくろの味だぜ!’とか、‘ここの親子丼は日本を思い出す!’などと店の通りに面した壁に、なかなかこちらの気を引くような文句を大きく書いてある店もある。誘惑の多い町だ。

やっと出てきたお好み焼きはキャベツの量が少ないものの、まぁ普通に近い味。ソースも多少混ぜ物はしてあるようだが、日本のお好み焼きソースの味がした。奥さんの方の朝食セットは特にポテトがおいしい。しかし何でこんなものでも出て来るまで一時間もかかるのだ?

店の中では犬に対してやはり我々と同じ気持を持ったのであろう、ヨーロッパ人の若い女性が子犬を抱えて、友達とどうしてもその子犬を国に持って帰りたい、ここの犬達は本当に可哀相、などと話していた。

洗濯物が手で洗うだけでは落ちない汚れがまた目立ってきたので、近くの洗濯屋に預け、今日はこれからの旅に不要になった衣類や、今までに買った土産物などを日本に送ってしまう事にしたので、郵便局に向かって歩き出した。途中奥さんが欲しがっていたカレー用のアルミのトレイとカップをついでに買って、一緒に送ってしまおうと郵便局を探す。

何かを探しているという気配を察するとすぐにガイド希望者がよって来る。しばらくは無視するがどんな物がどこにあり、何を売っているのか、ということを本当に良く知っているので重宝でもある。それに連れって行った店からマージンでも貰うのか、こちらにはあまりチップを請求しないし、気に入った物がなければ別に買わなくても何も言わないで次の店に連れて行ってくれる。便利なので彼について買い物をする事にした。

郵便局は思っていたよりかなり遠く、何回も人に訊きながら歩いて行ったが、みんなけっこう親切にチップも要求せず教えてくれる。ネパール人、またはインドを旅して来た日本人から聞いたり、ガイドブックに書いてあるインド人に対するイメージが少しずつ変わりつつある。

郵便局に向かって歩いて行くと、その辺りは新宿の歌舞伎町のように(といっても50年以上は前の。)人がごちゃっと歩いていて、車、オートバイ、リクシャー、その他あらゆる乗り物で、ごった返していた。そんなに混んでいるのに大きな較差点にすら信号が無く、(あるいはあっても壊れている。)そこで皆立ち往生状態になるのだが、それぞれが道を見つけて切り抜けていく。自分の道は自分で獲得せよということだ。

やっと郵便局についた。外と同じように中もごった返している。どうやって荷物を日本まで送ったらいいのかと思っていると、そばにいた人が、郵便局員に地元のヒンディー語で訊いてくれて、我々に英語でわかりやすく説明してくれた。請求されなかったが、かなり助かったので10ルピーチップをあげると、小さな額なのに素敵な笑顔で喜んでくれた。  荷造りは郵便局の前にある、荷造り屋という所に行ってしてもらわなければならない。店には使い古しのさまざまな大きさのダンボールやら何やらが積んであり、その中から我々の荷物に合ったのを選び出し、荷物を詰めてくれた。そして横の店に行けと言う。そこは梱包屋だそうである。まず頑丈そうな白い布でダンボールを包み、それを針と糸で全部縫い合わせていく。これがまた丁寧にやるのでけっこう時間がかかる。そこは電話屋も兼ねていたので、日本に電話をかけておくことにした。

全部縫い終わると今度はロウで封印をしていく。それも1つや2つではなく10個以上も丁寧にやる。そんな訳で、出来上がったものはまるで‘お宝’のような、何ともたいそうなものになった。

それを持ってまた郵便局に引き返し送るのであった。送料はここの物価の事を考えればとてつもなく高く、20ドルほどかかった。まさか郵便局までボラないよな?

今度はリクシャーを雇いインディアン エアーにインドの次に行く国、ビルマへの飛行機のチケットの確認に行く。この辺りは少し町から外れていて、人通りも少なく閑静な住宅地とでも云うような良い所で、ゴミもほとんど落ちていない。やればできるんだ。

2時10分前にオフィスに着いたが、入り口が閉まっているので、その辺りにいた人にきくと、まだ昼休み中だという。いつまで昼休みなのだ!

確認を無事済ませ、又リクシャーに乗り今度はバナーラスの駅に次のインドでの予定地ブッダガヤーまでの列車のチケットを買いに行く。普通の窓口に並んでいたら、外国人は外国人ツーリスト用の所でしか買えないと知って、まずツーリストインフォメーションに行き、その窓口を教えてもらって行ってみるが、今度はお金をある程度インドルピーに両替した、という領収書が無いと買えないと言われた。今はすでに3時を過ぎているので、銀行は閉まっているし、今日は金曜日なので明日、明後日と銀行はお休みである。両替はもぐりのではなく、ちゃんとしたところでないと、領収書は発行してくれない。もう一回ツーリストインフォメーションに戻り、正式に両替できる場所を尋ねそこに向かう。

やっと見つけた所はシルク ショップであった。両替屋も兼ねているのだろうがシルクを買えとうるさいのでは?と思ったらその通り、まず見るだけでいいからと例のごとく、どんどんと布を広げていく。こちらはもう土産物は全部買ってあるのでいらない、とひたすら頑張った。

やっと両替えまでこぎつけ、100ドル変えてもらおうとすると、「ここは両替えは本業じゃないので銀行より手数料は高い。だからとりあえず60ドルくらいにしておけ、チケットを買う時の領収書の為ならそれで十分である。もっと変える必要があるなら月曜日まで待って銀行で変えたほうが得だよ。」と結局我々は布を何も買わなかったのにもかかわらず、親切な助言をしてくれた。その代わりここの店のことを皆に宣伝してくれという。

インドではボロボロのお札が多く、それがあまりにひどいと銀行に行って変えてもらわない限り使えないか、またはその値段より割り引いた金額でしか使えないので、何回も古い札や、破れている札が出てくる度に、もっと新しくきれいな札と変えてもらい、けっこうな時間をかけやっと終わった。60ドル分のルピー、かなりの枚数の札束になるが、結局まあまあ新しい札で両替えしてくれた。丁寧にお礼をのべ、色々な旅行者にこの店のことを宣伝すると言って駅に向かう。

無事ブッダ ガヤー行きの列車の券を手に入れ、リクシャーでガート近くにある有名なヒンドゥー教のゴールデンテンプル近辺まで行きその周辺を散歩する。寺の中にはヒンドゥー教徒しか入れず、いくつかある門の前には必ず何人かのライフルを持ったものものしいガードマン達が控えていて、これでは軍関係の施設か、と見まちがうほど警戒厳重である。寺とライフル、この組み合わせこちらではよく見かけるのだが、何か矛盾していないか?少なくとも無抵抗主義ではなさそうだ。歴史を見ても明らかなようにある時代、ある宗教は、(そしていくつかの国では現在でも)お互いに宗教、神の名においての人殺しを何とも思っていないどころか、あたかも賛美でもするかのごとく、殺戮の歴史を更新し続けている。警備員が持っているのは警棒でもナイフでも自衛用のピストルでもなく、相手を殺傷する為に作られているライフルである。僕の抱いていた‘インド’最も宗教的な国の一つである、というその ‘宗教的=平和’というイメージそのものを修正する必要を感じ始めた。

さっそくインドで買ったパンジャビ を着た奥さん。
この辺りも寺の他は土産物屋、その他ありとあらゆる店が3メートルくらいの迷路状態の道の両側に所狭しと並んでいて、色んな客引きが声をかけてくる。なかには日本語で「神様買わないか?」というのがあった。さすがインド、神様まで売ってるのか?!と思って見ると、一つが3センチほどのヒンドゥーの神様達の詰め合せセットであった。それこそ七つで1セットになっている。そう七福神のようなものである。しかし作りが雑というか、子供っぽいというか、これでは日本のポケモン セットの方が御利益がありそうだ。

そしてここは聖地だけあって、いたる所に祠がありヒンドゥー教の色々な神様を奉ってあるのだが、その像が何とも幼稚な作りなのだ。もう少しどうにかできないのかと思ってしまう。どう見てもケロヨン、チビ黒サンボ、ダッコちゃん、としか見えない像に人々は真剣にひざまずいて祈っている。勿論信仰とは見た目ではない、よけいなお世話、わかってます。

その辺りを歩いていると凄いタブラの音楽が聞こえてきたと思ったら、屋台のような所でCDを売っていた。余りにもその演奏が凄いので、その場でそのCDを買ってしまう。CDはインドではどれも大体5ドルぐらいである。大金で普通の人は勿論買えない。そのCDはニューヨークでもよくコンサートをひらいているザキーア・フセインのであった。

1回宿へ戻り、奥さんと昨日買った生地を持って近くの仕立て屋に行く。またもガイド希望?の青年が友達になりませんか?と言ってついて来る。こちらがかなり奥まった路地裏の仕立て屋に入っても、まだ「色々と良い店知ってますから私について来ませんか?」と話かけて来る。「良いスニーカーですね!?」とか「どこに泊まっています?」とか色々とこちらの懐具合を探るような事も聞いてくるので、ついに「僕達で商売しようとしても時間の無駄使いです、もうここでする買い物は全てすましていますから。」と言って黙っていると、しばらく彼は真剣な顔をして考えていたが「ご親切にどうもありがとう、こちらも時間の無駄使いはしたくありませんから。」と言い残し出て行った。

近くにいつも地元の人々で込み合っているベジタリアンレストランがあったので入ってみることにした。べジレスのせいかモスレム教徒が多く、僕達の横にもその団体が座って我々には馴染みの無い、けれどもとても美味しそうな料理をワイワイと楽しそうに喋りながら食べていた。横目で見て覚えておいて今度注文してみよう。でも今日は無難にベジカレー セット、とてもおいしかった。出る時にその店で売っている小さなインドのお菓子を買ってみた。

その帰りに予定の時間より1時間半も早いが、通り道なので洗濯屋を覗いてみたら、外に面した受付のカウンターにもう我々の洗濯物が出来上がって積んであった。真っ白くふわふわで良い臭いになった衣類は本当に気持が良い。

喉が二人共痛い、風邪薬を飲んでも直らない。特に奥さんは咳が止まらない。疲れているので今日も早く寝る事にした。



12/30/00
汚物、ゴミがぷかぷか...僕もぷかぷか...
一番向うの端が火葬場、灰はそのままガンジスへ
お城のような火葬場のオーナーの家
7時半ごろ起き、ボートの手配をして、外に朝食に出るが、近くの店はまだ開いていなかったので、結局宿でとる事にした。

その後宿が手配したボートに乗り込む。この辺りのボート屋には気をつけろ!と言われている。河の真中まで漕いでいき、物を売りつけたり、その他、客がどこにも逃げられないのをいい事に色々と脅かしたり、悪さをするらしい。

ボートはよく日本でも公園などで見かける3、4人乗りほどの大きさの手漕ぎボートだった。ただしここのはとても古い。漕ぎ手のオジサンいわく「なんせ、俺より年取ってるからなぁ。」

とにかくボート一艘の値段は、彼らの生活レベルから考えるとボーットなるほど高いそうだ。

河に出てみるといかに汚いかが良く分かった。ありとあらゆる汚物がプカプカと漂っている。すぐそこがマニカルニカーガートという火葬場なので、その中には人間の灰も混じっているに違いない。この河の中で水浴びをしたり、顔を洗ったり、炊事、洗濯をしたり、この河はここの人々のありとあらゆる生活に関わっている。これで病人が出ないというのなら、本当に聖なる河である。ある本によると、この河には何かのバクテリアのおかげで浄化作用があるという。 

火葬場が近づいてきた。しばらくはそのあたりに止まって観察。ボートからでも写真を取っているところを見つかると面倒くさい事になるというので、撮ってもいい距離まで離れたらおじさんが教えてくれるという事になった。

漕ぎながらオジサン指をさし「あのボート マン悪い!あっちのボートマンもっと悪い!!」と色々説明してくれる。あるヨーロッパ人の乗ったボート、ちょうど火葬場の死体が燃やされている前にある、死体を焼く為の薪が積んであるところにピタリとつけられ、薪でも売りつけられているのか、ボートマンに何かを説得されているようで、とても深刻で困った顔をしていた。そのボートはずっとそこに止まったままでピクリとも動かない。お気の毒にぃ~!

ボートが火葬場からかなり離れ、もう大丈夫とオジサンの許しが出たのでそれを写真におさめた。

この川岸に建っている建物は皆古く立派なのだが、その中でもひときわ立派でお城のような建造物があった。火葬場のオーナーの家だそうである。

今日はこの後サールナート(鹿野苑)という仏陀が悟った後、始めての説法をしたという場所へ行くことになっている。

リクシャーでバナーラスの駅まで、それからバスで30分。ここもネパールの仏陀生誕の地、ルンビニーと同じような公園になっているが、こちらは入場料を取られる。インド人5ルピー(約10セント強)、外国人5ドル。なんという差(50倍)なのだ!しかしここまで来たのだから入らないで帰るわけにもいくまい。

門を入った所で後藤さんという日本人の僧侶に会った。この人もネパールでお会いした大木神父さんのように、こちらで貧しい子供達の為に学校をやっているそうである。

後藤さんによると、インドではまずほとんどの僧侶達は金ぴかの大きなお寺を立てたり、女を囲うことばかりしか考えておらず、誰も貧乏人の事など考えていない、ということである。ずるい事が上手く出来ない奴らは要するに馬鹿なのだ。だから貧乏なままなのである。などという事を堂々と人前で公言している政治家がのさばっている。そして真面目な人は潰されてしまうと云う。

政治家、宗教家などに対するこういうような話は別にここインドでなくとも、日本、アメリカ、そして世界中のどこでも、いつの時代を通してでも、耳にすることではある。上に立っている人間が常に言われているような事なのかもしれない。しかしここインドの場合は少し状況が違う。上に立つ人間がそんな事を言ったり、したりしている間にも人々はたくさん死んでいっているのである。

貧乏人に対してお前らはばかだ!そういう身分なのだ!分をわきまえろ!そのようなことを言ったり、思ったりしている政治家や宗教家などは(勿論、公の場でそのような事を言ったら問題発言とされるであろうが。)日本にもアメリカにもその他、世界中にたくさんいるであろう。しかし現実的な問題として、少なくとも日本、アメリカでは食べる物が無くて飢え死にする人達や、ほんの数十円で買える薬が手に入れられなくて死んでいく人達はまずいない。人間の最低限は少なくともその人達が主張する限りは誰にでも保証されている。特にアメリカではホームレスはシェルターには入れるし、生きていくのに困らない程度の食事なら誰でもありつける。 

あるアメリカのシェルターに住んでただ飯を食わせてもらっている、若くてピンピンとしていて、そこの中庭でバスケットボールをしている青年がボールを持ちながら、テレビのインタビューで、なぜあなたは働かないのか?と質問されて、自分の才能を十分評価してくれるところが無いからである!などと、さも当然というような顔をして主張していたのを見たことがある。

しかしインドでは額に血を流すほど働いても、家は借金のかたに取られ、一家離散、乞食となり、ゴミ箱を漁って町じゅうを探し歩いても食べ物無く餓死、病気になっても病院どころか、ほんの下痢止めの薬も買うお金無く、死んでいく人がいっぱいいるのである。これは人里離れた貧乏な田舎の話ばかりではない。都会でもそうなのである。僕の読んだ本によれば、インド人は本来凄い働き者であって、この国のほとんどの乞食達(飢饉などのために家、土地などを手放さざるを得なくなり、近くの都市に仕事を探しに出てきたお百姓さん達が多い。)は働きたくない、という怠け者や社会からのドロップアウトではない。それこそ食べ物さえくれれば喜んで12時間以上でも、倒れるまででも働き続ける人々なのである。(労働条件が悪い、と言っている余裕すらない。)この国では自分にあった仕事どころか、仕事そのものが無く、そんな中で多くの人が餓死したり、普通の国でなら何という事もない病気で死んでゆく。そんな訳で、そういう人々に救いの手を差し伸ばそうと、世界中から聖者達は集まって来る、ボランティアの人々は集まって来るはで、人助けをしたい人達のニューヨークみたいな所である。(ここのあたりの事情をよく調べ、書いてあるシティーオブ ジョイという本を、後に訪れるカルカッタで買うことになる。)

つまりこのような国であるのにもかかわらず、(住むところが無いどころか、食べ物が無くて死んでいく人々、下痢止めの安い薬すら買えなく死んでいく人々が溢れかえっている。)上に立つ連中がそのような事を言って澄まして、えばっているのは本当に許せん!とこのお坊さんは怒っているのであった。ごもっとも!我々まで怒りが込み上げてきた!そしてインドを旅する間中この問題を我々は目の前で、これでもか!これでもか!というほど見せつけられ、こちらに判断を迫るような気にさせられるのであった。つまりここでは人がほんの数十円が無いために死んでいくのだ。僕逹が買うチョコレート一個の値段分に人の生死がかかってくるのだ。そんな訳もあって私インドでは3週間いる間中ずっと最後まで、お酒はビールすら買う気にはなれなかった。(一回ヨーロッパ人におごってもらった事はあったが。)それを買うお金に何人分の命がくっ付いて来るのか?と思うと、悪酔いしてしまいそうだった。

公園の中はルンビニ-と同じように、アショカ王が建てたという僧院の廃墟が残っていて、菩提樹がいっぱいある。そしてダメークストゥーパというずんぐりとした仏塔が目立っていた。

ルンビニ-より観光客がいっぱいいて、もっと観光地化しているが、ここも静寂な何か独特の空気に満ちている。そしてぽかぽかと暖かく気持が良いので、しばらく芝生に寝そべって青い空を見ていることにした。

仏陀が悟った後、初めての説法をしたというサールナートは仏陀生誕の地、ネパールのルンビニと同様に静寂が漂っていた。そしてここにもアショカ王が建てた僧院の廃墟が永遠の時の中で眠っていた。
ダメークストゥーバ (左)
いたるところにある菩提樹
外に出て町を歩く。ルンビニ-と比べるとかなり人通りも多く土産物屋、食堂などが並んでいる。お腹が空いてきたのでその中の一軒に入りお決まりのダルバート(カレー定食)を注文。

安くてうまかった。 

店の前の結構交通量のある大通りの真中で、ヤギの家族が寝そべっている。よくある光景なのだがいつ車に轢かれるかと心配になる。そんな話を奥さんとしていたらギャ-という悲鳴が上がり、ヤギの家族の一匹がびっこを引きながら鳴いている。やっぱり車に引っかけられてしまったようだ。人々が集まって来て騒いでいる。しばらくするとそのうちの一人が何か赤い薬のようなビンを持ってきて、みんなでヤギを押さえつけてその足にかけ、包帯を巻いてあげていた。

インド人の悪口を散々聞かされてきた我々、しかしここ数日でインド人ってみんなが言っていたほど悪い人達ばかりではないんじゃない?という感じがしてきた。インドに入ってから特別悪どい人間が寄って来たという訳でもないし(ゴーラクプルの旅行代理店の親父は別として)、別にネパールとたいして変わらない。ただ表情や行動がアグレッシブなところはある。それで誤解される場合もあるのでは?と思い始めている。ヤギ一匹の為に皆で大騒ぎして、介抱している人々を見ながら少しインド人に対する先入観を改め始めた。

バスでまたバナーラスの駅まで戻りそこからリクシャーで宿の近くまで。15ルピーと言ったので乗ったのに、降りる時には50ルピーだと言う。よくある手だ。最初にフィフティーンとフィフティーをわざとあいまいに発音するのである。この距離では15ルピーで十分なはずなのだが向こうは譲らない。しょうがないので20ルピー握らせ歩き出すが、彼はリクシャーを引きながら追って来る。しかし道はとても人通りが多いので我々が反対方向に歩き出すと、もう追って来られなくなったようだ。しかし人をもっと信用しようと思う度にこういう奴らが現れ、頭に来て、やはりもう人は信用すまいと思い始めると、また正直な人々に会ったりするので非情に混乱する。どっちかにしろ!

これから我々が向かう土地は暖かい所ばかりなのでマラリヤを運んでくる蚊のことが心配になる。蚊帳でもあったら買っておこうということになり探すが、やっと見つけたと思ったら、畳んでもかなり大きくかさばるので結局やめた。

しかしここはやたらに牛が多い。犬は人間が通ると避けて行くが牛はマイペースである。よそ見をして歩いていたら、うっかりぶつかってしまい、角でわき腹を突き上げられた。危ない!結構痛かった。でもバツが悪いので平気な顔をして大丈夫、大丈夫と笑うと、周りにいた人達も笑い出した。しかし奥さんまでもが笑い出したので一瞬むっとした。

奥さんの咳が何種類かの風邪薬を飲んでもいっこうに止まらない。咳以外には風邪の症状が何一つ無いので風邪ではないのかも知れない。薬屋に行ってその事を話すと、それはインフェクションである、という事でそれ用の薬を買った。

5時ごろいったん宿に帰りそれから仕立て屋へ奥さんのブラウスを取りに行く。ちょうどフックを付けているところであった。出来上がり代金を払っても、まだおじさん身振り手振りでお金を持っていないか?というようなことを言う。もっと金よこせ、とでも言っているのかと思いうんざりし始めると、どうやら世界中のお金を集めているので日本のお金があったら少し記念にくれと言っている事がわかった。僕達はアメリカに住んでいるので日本のは今持っていないが、アメリカのなら持っていたので5セント、10セントコインをいくつかあげると両手に持って嬉しそうにしげしげと見つめていた。

6時ごろスパイシーバイトという食堂に行き、お好み焼きはあまり当たり外れが無いように思うのでそれと、チキンカツ、トマトソース スパゲッティーという関連性の無い組み合わせで夕食。味はまあまあ。

宿に帰りお湯を沸かしてもらうよう久美子さんに頼もうとすると、インド人の女性従業員と一緒にテレビドラマを熱心に見ていた久美子さん「ちょっと待ってて、今いいところ!」と言って画面にくぎづけになっている。ちょうどインドの犯罪ドラマであろう、それのクライマックスであるのが僕にも分ったので一緒にこちらも見てしまった。

「あーっ、やっぱりあの旦那が犯人だった!思ったとおり!」と久美子さん叫んで、「あー、お湯ね、今沸かすから待っててね!」ここのところ久美子さんやっと口をきいてくれるようになった。話すと気さくな人なのだ。結局チェックインは未だにしていないが、もうめんどくさいから出て行くとき払っていって、という事になっている。明日は朝早いので今払ってしまう事にした。何日泊まったかというのも自己申告であった。

久美子さんに「ネパールでは火葬場には自由に近づけて、写真も取れたのに、ここではそんな事をしたら面倒な事になるそうですねぇ、きっと皆とても信心深いのでしょうね。まぁ人の葬式を眺めて写真に取ったりするというのも、考えてみればかなり失礼な話しですよねぇ。」と言うと「お金払えば大丈夫よ。」とのこと。

そのほかインドとインド人の話、また色々と為になる情報なども教えてもらった。話し始めるとなかなか気さくで面白く良い人なのである。 しばらくするとお湯が沸いた。バケツ一杯のお湯を奥さんと2人で半分ずつ使って体を洗うのにも慣れて来た。

奥さん薬を飲んだが咳は止まらない。薬屋の親父は8日分くれたのでそのうち効いてくるであろうと期待する。僕も喉が痛く少し咳が出るようになってきている。



12/31/00 仏陀が悟りをひらいた地、ブッダガヤへ
朝起きると奥さん下痢だという。しかし昨日は一日中何も生ものは取っていなく、いくら考えても分らない。結局昨夜食べたスパゲッティーのトマトソースではないか、ということになった。

今日はブッダが悟りを開いたブッダ ガヤーという所に行く。朝7時すぎに宿を出てバナーラス駅前までリクシャーで行き、そこからムガル サライ駅行きのバスに乗る。ここの駅前はとても込み合っていて、その辺りから一般道路に出るまでかなり時間がかかり、17キロを1時間ほどかかってムガル サライ駅へ到着。

ここの駅のホームも例によって、何のインフォメーションも無く、人々に訊きまくり自分達の乗る列車のホームの目星をつけた。屋根の無いホームには色々な屋台が出ていたので、僕達はチャイ、クッキー、オレンジで朝食。

列車が入って来たが、僕達の目の前に止まった車両の窓からは、人々の体や家財道具などがはみ出しており、人が人の上にまた人という具合に、折り重なるように詰め込まれていた。これがあの二等自由席というやつらしい。庶民が乗る最下位ランクの車両なのだ。こんなところに乗るのか?いや、詰め込まれるのか?不可能である!それに僕達の席はいちおう指定席である。とにかくこの車両ではなさそうだ?いや断じてありえない!

またホームを走り回りながら、チケットを見せ訊きまくって、やっと我々の車両を探し当てた。

列車は3時間ほどで今回も遅れなく予定表どおりガヤー駅に到着。この辺りはインドでも最も貧しいエリアだそうで、駅もかなりのものであった。また町もかなりバナーラスと比べると貧しそうである。バナーラスでも驚いたが、ここはそれこそ20年程前に爆撃を受け廃墟となったままほったらかしにされている、としか思えないほどだ。ちゃんとした車はほとんど走っていなく、リクシャー、軽三輪がぐっちゃっと道じゅうに溢れかえっていた。

リクシャーでブッダガヤーまで行くバスの停留所へ。25ルピーというのを10ルピーまでねぎれた。最近リクシャーとの交渉のコツが分かってきた。値段をきいた後、とにかく「高い!」と言って歩き出すのである。乗る気はあまりない、という印象を与えるのだ。とりあえず絶対半額にはなる。

ずっと先に止まっているバスには屋根の上まで人が折り重なるように乗っていた。
52メートルの仏塔は見事だ
赤い布をまとった仏陀
さすが境内にはゴミ1つ落ちていない。
いたる所で色々な国から来た僧達が五体投地を熱心にしている
仏塔の全ての面は見事な彫刻でうめつくされている。
バス停に着いてみるとここのバスも、すでに人々がぎゅうぎゅう詰で折り重なって乗っているのにまだ乗せようとしている。バスの屋根の上まで人が重なり合って乗っている。あれで落ちないのか?あまりに凄いので乗るのはやめて、写真に取った。

混んでいるので僕達は次のバスを待つことにする、と言っても無理やり乗せようとするので、その場所から少し離れたところまで逃げ、そこで次のが来るのを待つことにしたのだが、考えてみれば次のもあんな状態になるわけで、たとえ座れたとしても我々の上に人また人が折り重なって乗ってくることになるだろう。奥さん、そして僕も咳が止まらなくなってきていることでもあり、そんな酸欠状態は思っただけでも気分が悪くなったので、オートリクシャー(トゥクトゥク)と交渉、2人で120ルピー。ちょっと高いとは思ったがもう疲れていたので我々には戦意無し。

ごちゃっとした狭い街中を抜け、10キロの田舎道を20分くらいでブッダガヤーに着いた。新しくてきれい、とガイドブックに載っていたレインボウホテルにチェックイン。(2人で一泊$4強)しかし部屋は日当たりが悪く肌寒い。しかも蚊がうじゃうじゃと飛んでいる。部屋にシャワー、トイレは付いているがそれは以前は新しくてきれいであっただろう、程度。そして夏の暑い季節用の作りなのか、部屋は6畳位の大きさなのに天井が異様に高くてとってあり、上の方は外とつながっていて何か落ち着かない。まぁそのうち他のホテルでも覗いてみるか。しかしとりあえずホットシャワーは出た。

荷物を置いて散歩に出た。町は、仏陀が悟りを得たその地に立つマハーボーディ寺院を中心としてかなり開けており、各国からの僧侶や、巡礼者、観光客で賑わっていた。マハーボーディ寺院には、高さ52メートルの天に向かって伸びている、畏敬の念をおこさせる塔があり、寺院は、そのすっきりとした形の良い塔を中心に創られている。

中心を抜け町並みも途絶えるあたりまで歩き、ガイドブックに載っていた日本食もあるというホテルの庭にあるレストランに入った。しょうこりもなく日本食という文字に惹かれてしまうのである。しかしメニューに書いてある料理は日本食どころか、ほとんど作れないと言う。それならメニューに載せるな! ...で迷ったあげく、カレー系はやはり飽き飽きしているのでフライドヌードル(焼きそば)を注文、ここも例のごとく一時間ほどかかって出てきたが、それは素朴な味というか...まずくはないが塩辛かった。 マハーボーディ寺院に戻り中に入る。カメラ持ち込み料10ルピー、一応原則的には裸足でないと入れないので、サンダルを預けて中に入った。 寺院内には赤い布をまとった黄金色の仏陀、ここもやはり仏陀の頭の後ろにはルンビニー同様パチンコ屋のチカチカ電球が輝いていた。

ここにそびえ建っている52メートルの仏塔は姿、またその一面に彫りこまれている色とりどりの数限りない仏像、動物その他の彫刻の一つ一つがとても美しく存在感を持っていて、魅せられてしまった。

この寺院の後ろの方には仏陀が悟りを得た時に座していたという場所を示す石の台、そしてそこには大きな菩提樹が柵に囲われ奉られていた。その空間には何か神聖なものが漂っているようで体の中の敏感な部分に微かな電流が走った。

ある日本人旅行者から聞いた話だが、かつてオーム真理教御一行がここに来た時、後に毒ガス、その他あらゆるタイプの殺人技指導で一躍世界中にテロリストとして名を轟かせた、自称仏陀の生まれ変わり、麻原尊師がその柵の中に無断で入り、その木に登って、えらくひんしゅくをかったそうで、例の事件の直後日本人がそこに行くと「アサハラワルイ!アサハラワルイ!」とカタコトの日本語で繰り返すインド人がその辺りにいたそうである。

寺を一周するように作られている道を各国の僧、巡礼者達に混ざって時計方向に一回りする。その道の内側の敷地内では色々な国から来ている僧達が五体投地を捧げていた。

この町は仏陀が悟りを得た場所とあって世界各国の寺が建っているというので、そちらの方に歩いて行ってみる。土産物屋の並ぶ広場では元気のいい子供達が何人かで陽気な声をあげながら遊んでいた。しかしみんな座り込んだような変な姿勢で追いかけっこをしている。最初はそういう遊びだと思っていたのだがそれにしても少し様子が変だ。よく見るとみんなイザリの子であった。あの列車の中で床を掃いていた子と同じように、彼らの足はあぐらををかいたまま固まってしまったようになっている。その足を左右に揺すりながら本当に蟹の横ばいのようにサラサラと滑るように走る。とても元気で無邪気なその子供達からは何の暗さも感じられはしなかったが...

インドでは屋台の食べ物は絶対食べない方がいい、と言われてはいるものの、食べ物に対する好奇心が人一倍強い私、さっきから気になっている食べ物があった。それはゴルフボールくらいの大きさの何かを揚げて作った殻の中に、豆を煮たような物を入れた食べ物である。その屋台が至る所にあるのだ。

ある屋台でそれを一つだけくれと言うと、一皿(4つ)単位でしか売らない、と言うので一皿注文すると、お釣が無いから二皿にしろと言う。少しすったもんだの末、そこの子供がお金をどこかにくずしに行くということで、決着がつくが、それでも親父ニコニコ笑いながら2皿出してくる。コラコラ私達にはもうその手は通用しないのだ!旅も長くなってきているので、こちらもすでに何でも言いなりになる日本人ではなくなっている。一皿はつき返した。親父は何事も無かったのごとくそれを他の客にまわした。

それは最初口に入れた時、豆独特の?少し甘い味がした。そして噛んでいるうちにだんだんとカレー味系の辛さになってきて、最後には結局これは辛い食べ物である、ということが分かるという何とも表現できない間延びした味。奥さんも一個だけ挑戦。

残りを僕が食べていると横で奥さんが、あっ!という声を出し僕の方を振り向いた。そして、「今食べている時にこの話をするとゲッとなるから後で話すから。。。」と言う。そういう事を言われたらよけい今聞きたくなるではないか!

奥さんがそれでは屋台のオジチャンの仕事振りを見てくれと言う。オジチャンは素手で煮豆を捏ねていて、その手でお金を扱ったりするので、手を洗う為に横に水の入ったボールを置いている。さすが屋台といえども衛生には気を使っている。そのボールの水で手をゆすぎタオルで拭くのだが、そのタオルが真っ黒に汚れている。まぁそこまではよくありそうな話である。 豆はずっと煮られているのでだんだん煮詰まってくる。するとオジチャン、おもむろにその手を洗っていたボールの水を全部豆の中にぶちまけた!そのようにして作られている食べ物を私は今食べているのである。しかしここはインドだ、平気を装った。

宿に帰ってシャワーを浴び一休み。奥さんは喉の具合が良くならずついにダウン。僕は近くの洗濯屋へズボンを持って行く。ターバンを巻いたインド人、明日お昼頃仕上がる、と言う。こちらが確認のため、明日の昼頃ね、と繰り返すと、首を横に振る。なんだ違うのか、と思ってもう一度訊くと、同じように独特の振り方で首を横に振る。そうここで思いあたったのだが、インド人はいつもこの独特の首の振り方をするのだ。ダメな時は首を横に振る、しかしイェースの時も首を横に振る。しかしその振り方が微妙に違うのだ。イエスの時は首を下の方からしゃくり上げるように横に振る。つまりこの洗濯屋の首の振りは、どうやらイェースを表しているらしい。その微妙な違いが分らないとインドでは生きていけない。以降奥さんとこの首の振り方を練習してみるが、なかなかこの首を横に振ることで承諾を表すのは難しい。とにかくインド人は何を訊いてもノーと答えているようなので大変だ。そんなこともあってインド人はみんな嘘つきだ、という事になってしまったのでは、と思えるような気もしてきた。

ちなみに僕の友人で逆に、ノーと言えない珍しいアメリカ人がいる。いつも何を訊いても首を縦に振りイェーとしか言わない。こちらとしては彼の声の抑揚、顔の表情などからこの時のイェーはイェ-スでこの時のイェ-はノォーであると判断しなければならない。試しに“Give me money!”と言ってみるがこの時だけは即座に首を横に振りノーと答える。

洗濯屋の帰りに奥さんの喉のためにキャンディーを20個買って帰った。

夕食の時間になっても奥さん気分が良くならないので、僕一人でガイドブックに載っていたホテルからほぼ30メートル程の所にある、ポレポレレストランという馬鹿にされているような名前のレストラン(といってもテント作りでキッチンは昔ぁ~し田舎にあったような感じのもの。)に入ってみた。

もうカレー系の食事には胃が反乱を起こしそうなので、何をたのもうかと思いメニューに目を落すと、‘おじや’という文字が目に飛び込んできた。やった!

注文を取りに来たおじさんにオジヤ!と言うと、「チキンオジヤの玉子入りね!」と有無を言わさぬ感じで言われたので、イェ-スと言ってしまったら、向こうはにんまりしていた。後でメニューを見ると普通のオジヤとチキンオジヤ、玉子入りとでは値段が3倍ほど違う。してやられたりとも思ったが結構お腹も空いていたのでまぁいいかと思う。そして奥さんに持ってかえるためにベジタブルサンドとコロッケも注文した。

薄暗い店の中、前の方にはヨーロッパ人のカップル、横にもヨーロッパ人の男2人、そして店の従業員の他にインド人2人ほど。またこの店の飼い犬であろう、子犬一匹。この子犬も少し痩せていて毛も抜けているが、食べ物屋に拾われて何と幸せな事か!客みんなに可愛がられ、残りを貰ったりしている。ここブッダガヤーの町の犬達もバナーラスの犬達と同様、全部痩せていて何かしらの病気にかかっているようなものばかり、だというのに。なんと幸せな子犬ちゃん。

そしてやはりここも待つこと一時間、やっと出てきたオジヤ、何とカレー味だった!勿論日本の普通のオジヤを期待していた。もうカレーは嫌!ガクッと来そうになったがこれが結構いける。特にカレーでじっくりと煮込んだチキンがとても辛いが美味しい。骨は子犬にあげた。

ところで今日は今年最後の日なのだが、ここインドでは全くどこにもそんな気配はないなぁーと思っていたら、横にいたヨーロッパ人(デンマーク人)2人のうち1人が僕にも少しビールを注いでくれ、ハッピーニューイヤー!と言って乾杯しだした。久振りにアルコールを飲んだので良く効いた。

べジサンドととても大きなマッシュドポテトをただ揚げただけ、というコロッケを持って部屋に返る。奥さん半分寝ていて元気が無いが、サンドだけでも体のために食べるよう進める。美味しいと奥さん。しかし咳は薬を飲んでいるにもかかわらず止まらない。僕の方も奥さんほどではないが咳が出ている。

まだ僕は眠くないので本を読もうとするが、部屋の照明は薄暗く、明るくなったり暗くなったりしているうちに停電になってしまった。面白いところだったのでしばらくは懐中電灯で照らしながら読んだ。

部屋の中は肌寒いのに蚊がいっぱい飛んでいて気が滅入る。皮膚が出ている所に満遍なく虫除けを塗り、顔の上には寝袋に付いている網をかぶって寝る事にした。横では奥さんが咳をしているが何もしてあげる事もできず、これは僕の人生の中で一生記憶に残るほどのみすぼらしいニューイヤーズ イヴだなぁと思った。ミュージシャンなのでいつもイヴはどこか賑やかな場所で演奏しているというのに。。。